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「顔をお上げになって。ミス・クストス。あなたをここへ呼びつけてしまったのはあたしなのですから、あなたが畏まることではありません」 |
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「……はい、レディ」 「言われるほどの淑女ではありません。 でも、あたしは恐縮してしまう。 何が起きて、何がどうなってこんなことになってしまったのだろう。都市頂上部に位置する上層、綺麗に磨き抜かれて輝くかのような石畳が敷き詰められた広い広い通りに豪奢なお城のような邸宅が立ち並ぶところ。あたしは、その中でも1番か2番目に大きなお屋敷の、あたしのコンドミニアムがまるごと入りそうなほど広い応接間に通されて、貴族の女性のお言葉を賜っていた。 貴族紋(ノーブルタトゥ)も鮮やかな、若い女性。 ──サラ・センケンネル。 あたしは緊張してしまう。 貴族さまを見るのも初めてなら、話すのも初めて。 あたしは戸惑ってしまう。 この右瞳だ。 先日、あたしを診てくれた壮年の数式使いのお医者さま(クラッキング・ドク)が述べていた言葉を私は思い出す。うん、そう。思い出す。最近のことなら、思い出しても痛みはないから。 『過日、上層貴族センケンネル家の支援で、変異に伴う苦しむ人々を救済するための医療財団が設立されました。私も所属しています。数式医複数名の診断によって、より専門的な治療と詳細な原因調査が可能です。私より上質な診断数式(アナライズ・クラック)を扱う者もいますから』 『はい……』 センケンネル家のお嬢さまが、慈善事業を行っているとは知っていたけれど。まさか、ただのあたしなんかのためにわざわざお会いになるだなんて、かけらも思うはずがなくて。 あのお医者さまの紹介を受けて、貴族家お抱えのお医者さまが何人も、あたしを診てくれた。右目に顕れてしまった黄金色の瞳が何であるのか、なぜ、ぽっかりと空いた10年のことを思い出そうとすると痛みを感じてしまうのか。 痛むたびに、少し泣いた。 ただ、涙はこぼれて。 訳もわからず── 「その後、お体の調子はいかがですか。ミス・クストス」 「はい、少し、慣れました。 「思い出そうとすると、まだ頭が痛むのですね」 「……はい」 「謝罪します、ミス・クストス。私の財団の数式医では、その右瞳を解析することはできませんでした。最後にあなたを診断された方は、かの連合皇帝閣下の保護下にあるエイダ研究機関の碩学ですが、彼もまたあなたの右瞳の変異と、頭の疼痛の正体を明らかにすることはできませんでした」 そう言うと、レディ・センケンネルは席を立って。 あろうことか、あたしの両手を握りしめた。そんな、とあたしは思わず手を引こうとするけれど、レディは手にぎゅっと力を込めていて、逃げられない。 慈善財団を作るぐらいのひとだもの、凄いひとなのだとは思っていたけれど。まさか、触れるだなんて、思うはずもないから。 レディ・サラ・センケンネルの瞳を見る。 「きっと元に戻るはずです。ミス・クストス。 「……は、い……」 ──現象数式実験? 知らない言葉を聞いて、少し、あたしは震えた。レディの意志に何か恐ろしいものなどありはしないと、この瞳と手の温かさがそう信じさせてくれるけれど、あたしは。 この自分に、この右目に、一体何があるっていうの。 もう思い出さないよう、 なぜ、あたしが── 『簡単な理由だ』 『え……』 『わかるだろう。 『研究、対象……ですか……』 『二度言わせるな』 Mと名乗った彼は、今朝、召喚状に応えて上層へ赴こうと外出の準備をするあたしに向かってそう言った。いつものように呼び鈴も鳴らさずに玄関のドアを開けて、取り忘れていた新聞を足下に投げ捨てながら。 研究対象。 ──あたしはレディ・センケンネルを見つめる。 強い意志の輝きを湛えたその瞳に、思わずまばゆさを感じて目を細めてしまいそうになるのを、抑えながら。貴族さまの考えなんてあたしには何もわからないけれど、西亨から伝わった幾つかの言葉を頭の片隅で思い浮かべながら。 このひとに、あたしは、何を願えばいいのだろう。 ──右瞳を元に戻して欲しい? ──頭の痛みを取り除いて欲しい? ──10年の記憶を取り戻したい? ──それとも。
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