「報告は以上です、支部長。
北央帝国が“大辺境”に在る特定都市と外交を行っているのは明白です」
「ご苦労、モニカお嬢さん」
カダス北央首都。帝国臣民からは帝都と呼ばれる、北央大陸最大の都市。
大陸中の機関排煙が気流に乗って首都へと集うように、カダス中の経済が集約された大金融区にそのビルディングは在った。西享は合衆国に本部を持つP探偵社北央首都支部ビルである。15階建ての高層建築。調査探偵モニカ・ヌーヴェルバーグが14階オフィスにて上司であるジェームズ・マクパーランド上級探偵へと報告するのは、今回で実に30回を数えることとなる。
30回目の憂鬱というやつだ。
モニカはどうしてもミスタ・マクバーランドのことが好きになれない。
第1の理由、匂いのきつい合成パイプをいつも吹かしていること。
第2の理由、すぐに名を揶揄すること。
男であるにも関わらずモニカという女性名であることを揶揄されるのは、恐らくこれで30回目になるのだろう。そもそも“相棒”を選ばれた基準も名前のためではないだろうか、とさえ。そう思わないように努力してはいるのだが。
握手を求められれば左手を返してくる、マクバーランドとはそんな男なのだ。
「……にしても、外が騒がしいな。先刻まで何か放送もあったようだが」
「大機関区の中央機関塔が大規模な避難警告を出したそうですよ。
まだ、理由は発表されていません。調査しますか?」
「構わん。どうせ事故か何かだ。大機関区のことはどうせ4階の連中が探るとも。
しかしお嬢さん、いつもの癖なのだろうがどうにかならんかな」
「ええと」
「お前の主観は報告に添えるべきではない。
我々にとっては宜しくない癖だ。直しておくが良いよ、モニカお嬢さん」
「で、でも、確かに僕は確認したんです。
東南部1等都市では中規模の飛行船団が“大辺境”を行き来しています。
物資と人員の輸送です。輸出入です。
船員たちの証言も複数取れています。明らかな事実ですよ!
あと、僕は“お嬢さん”じゃないです、ってこれで30回目ですからね!」
「我がピンカートン探偵社の仕事は何かを伝えることではない。
新聞社とは違うのだよ、お嬢さん」
「帝国は市民にこの事実を公表していません!
既に噂が出回っているとはいえ、未だ、公式に“大辺境”の存在すら──」
美しい空は在る。
それは、多くの人々の知るそれとは大きく異なっている。
カダス地方の“果て”として厳然と聳える永久低気圧こと《水殻》の向こうに、排煙の灰色ならぬ美しい空と海、そして緑の大地が広がっている。天動説に対する地動説のようなものだ。その噂が流れたのは北央歴2206年、西暦にして1902年のこと。現在から数えておよそ3年前だ。
北方辺境アステア家の廃王子帰還について湧き上がる報道と共にまことしやかに帝国全土へと流れたこの噂は、今では等級を問わず多くの帝国臣民の口に上っているが、第1宰相たるエイダ・ラブレイス・バイロン卿も皇帝家も発表へは至っていない。
現在、この北央帝国にはふたつの頭が在る。
第1宰相派と皇帝家派である。
内政の正常化、ひいては国家改造に力を尽くす宰相エイダを差し置いて、2000年に渡って実質的に帝国を操ってきた皇帝家は独自に王侯連合や“大辺境”の大都市と外交を繰り返すことで力を取り戻しつつある。
灰色に覆われたこの排煙の空以外に、未だ、清浄を保つ空が在る。
帝国の人々の多くがその名さえ忘れてしまった色を湛えて。
およそ数百年に渡って隠蔽されてきたこの事実の公表は、どちらにとっても政争のカードなのだ。西享のとある一国、すなわちモニカの故郷たる合衆国の数少ない碩学のひとりは曰く、公表の時期次第では帝国全土に市民革命をもたらす恐れさえある、と──
「我々にとっての仕事とは、あくまで事実のみを調査、記録、提出すること。
大小を問わず、判断を行うのは彼ら(ガヴァメント)の仕事だ。
お前の個人的な主観は報告書備考欄に記しておくに留めておけ」
「ですが!」
「そう熱くなるな。それに、正しくは“市民”でも“国民”でもない。
北央帝国の人間はあくまで臣民だ。お前の常識は必ずしも通用しないと知れ。
合衆国でさえ、そこにはリンカーン総統の死を待つ必要があった」
「そ、それと、これとは……」
「違わんとも。この話はこれで終わりだ。
お前には新たな仕事に就いて貰う。王侯連合の新型機関兵器群開発を調査しろ。
既にヘンドリクス坊やが東大陸へ赴いている。すぐに合流しろ」
「新型の、機関兵器開発……」
──みるみるうちにモニカの表情が曇っていく。
──横に細長い眼鏡を二度押し上げる。不満を感じた時の癖のひとつだ。
新たな仕事はやぶさかではないものの、機関兵器開発であるなら話は別だ。故郷たる西享でもここカダスでも機関兵器開発の噂も事実も山ほど転がっている。戦争という事象に対して、モニカはどうしても現実味を感じることができない。現在、蒸気文明華やかなりし各国家で開発される機関兵器群は多岐に渡る。この北央帝国においても、空軍の代表的兵器である機動要塞をはじめとして、圧縮砲、機関砲、機関式装甲車輌、などなど、無数の兵器が日夜生み出されているというが。
西享は英国で発行されている『The Daily Mail』のとある記事を読んだ際にも、モニカは実感することはできなかった。
軍備はあくまで外交のカードのひとつであって、事実、機関兵器を用いた文明国同士の戦争などはこれまで西享では起きたことがない。ここカダスでは数十年前に大戦があったというが、それも過去の話だ。
ベヴェルの件も記録上は内乱・内戦であって、戦争ではない。
機関兵器群開発競争。
それは、大国同士のゲームだ。
モニカにはそう思えてならない。現実として目に見える影響を与え得るものではないと確信しているが故に、彼は、その調査にはどうしても乗り気になれない──
「旅券は常時携帯しているな?
では、調達課窓口で国外調査用のBパックを受け取れ。飛行船、15時の便だ」
「ま、待ってください!
そんなことよりも、僕にはまだこの帝国での調査が終わることに納得いきません。
皇帝家はまだ何かを隠しています。それもかなりのものを。
秘密外交には、現皇帝クセルクセス9世にごく近い皇帝血族も関わっていると──」
「そんなことよりも、か。ふむ」
──マクバーランド上級探偵が顎に手を当てる。
──片眉を上げて。この仕草には、モニカには見覚えがあった。彼の癖だ。
いやというほどよくわかる。楯突いた部下へ無理難題を吹っかける際の仕草だ。しまった、と思うもののもう遅い。マクバーランド上級探偵は煙を上げる合成パイプをデスクの上に置くと、引き出しから何かの書類を取り出した。見事な手際で、各証人欄へとサインを書き込んでいく。何をしているのか問うまでもなかった。
無理難題のための下準備だ。
ここで止めなくてはとモニカは思うものの、唇はぱくぱく動くだけで声が出ない。
ああ、しまった。下手を打ってしまった。
「では、お前には遠隔地派遣を命じよう。
そんなに“大辺境”が好きなら、行ってくるがいい。お嬢さん」
「え……」
「弾丸列車、14時の便で南東部1等都市へ行け。
手配をしておくから、現地の電信所で飛行船の切符を受け取ること」
「ど、どこへの飛行船ですか」
「そんなに警戒に充ちた顔をするな。
セラニアンだ。西享から侵入した《イルミナティ》の連中が何かをしている。
探ってこい、フェルミ計測機関の所持を忘れるなよ」
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