──綺麗なひとだとモニカは思った。
──都市入管で、係官に示された記録機関へカードを挿入する少女のことを。
さして気に留めた訳ではなかったが、プラチナブロンドの少女の姿が目に入っていた。
貴族ほどの豪奢さはないにしても、仕立ての良い黒の服に身を包んだ少女の持つしとやかな雰囲気は、モニカにある人物を想起させる。あれは1年ほど前のこと、旧ニューヨーク跡の記録が保管された合衆国公文書館で見かけた美しいレディ。穏やかな笑顔の裏に密やかな覚悟を湛えた彼女に、少女の雰囲気はどこか似ていたように思えて。
思わず観察要度を上げてしまう。
無論、その間も無意識に周囲の様子をも認識・記憶している。
調査探偵として教官に叩き込まれた訓練は、今も、モニカを律している。
現在、この広々とした、屋敷のホールと見紛うが如き絨毯の敷き詰められた入管受付に姿があるのは、北央帝国貴族の団体が2つと、企業の人間らしき男性が23名、富裕層の旅行者が10名、行政関係者が3名、あとは自分と件の少女のみ。
要注意人物は存在しない、とモニカは結論付けた。
自分と少女以外は、すべてが北央帝国人。すなわちカダス人だろう。カシオン人と彼らは自らのことを呼ぶが、その分類となると西享人であるモニカたちも含まれる。
そう、少女は、どうやら西享人であるらしかった。
一等以上の北央帝国機関都市に在る公的施設では、西享語(英語)が通じることを知らなかったのか、忘れていたのか、少女は係官へ向けてつたない帝国公用語を発音しようとしていた。カダス人であれば、公用語に詰まるはずがない。
(ああ、あの様子は、よく似ている)
そう。あれは1年前。
自分の“相棒”もああいう様子で、どこか呆然となって公用語を──
(初めてここに来た時のあいつもそうだったな。
あの子も、初めてここに来たのかな。それにしては、一人連れのようだけど)
興味を抱いたのは単なる好奇心。それ以上のものではなくて。
まさかあの少女が、セラニアンに潜入し、極秘裏に違法工作を行っているとされるドイツ系結社《イルミナティ》に関与する人間であるはずがない。事前資料によれば、かの勢力は「エージェント・M」なる人物と「機関人間S」なるものを追っているという。まさかあの少女が、あんなにも細い腕と、透き通る白い肌を湛えた女性が、悪辣な秘密組織の工作員であるものか。
少女のプラチナブロンドは、空を強調する意図によって設置されたと思しい硝子天井から差し込む陽光に煌めいて、ああ、その物憂げな横顔はモニカの心を鷲掴みに仕掛けたけれど。声を掛けてしまおうか、と考えることは新大陸紳士の名誉に賭けて我慢したものの、西部を駆け抜けた無法の銃使いであったと嘯く祖父の血がモニカを揺さぶる、それでも、耐える。身なりからして、英国の貴族子女か、そうでなくとも育ちの良い子女であると伺える。
用向きもなく声を掛けるなど、英国の紳士であれば絶対にすまい。
であるからして。
モニカは、少女に声を掛けなかった。
──故に、気付くことはなかった。
──モニカの立つ位置からは、少女の右眼が見えることはなかったから。
後ろ髪引かれる思いながらも手続きを済ませて飛行場を出ると、モニカは一路、迷うことなくスラム地区へ向かって足を進めた。ガーニーを手配するまでもない。路地裏から都市中に張り巡らされた移動用水路の艘(ボート)を用いる必要もない。
街路からおよそ14フィート下に水面が位置するこの低位置水路は、ガーニーに頼るまいとする初代領主の配慮であるとも、北央帝国の遠隔都市としてのセラニアンが成立する以前に存在した古代文明の遺跡を流用したものであるとも言われているが、現在ではここで暮らす帝国臣民のささやかな足として用いられている。無論、モニカは、飛行船内で資料へ目を通すことによって、セラニアン25区画に渡る水路の多くを暗記している。すべてと表現できないのは、描かれた地図があくまで地上道路を基準としているためだ。
これはマクバーランド上級探偵に是非とも文句を言わなくては。
そう決めつつ、モニカはスラム地区へ向かう。
そして、また。
件のプラチナブランドの少女を目にすることとなった。
(あれ。またあの子だ)
やはり、少女はひとりだった。
ぼんやりとした様子で、南東方面へ向かって歩いている。あちらには旧領主公邸はあるけれど、ホテルらしいホテルはない。西享人がまさかひとりでセラニアンの縁故の元へと趣くとはそうそう考えられる事態ではなく、ああ、今度こそモニカは、我慢きかず。
今度こそ。今度こそ、声をかけそうになったものの──
(待て待て!
彼女は今回の仕事に何も関係ないだろ、モニカ・ヌーヴェルバーグ!)
モニカは自分の紳士的精神に命じて行動に耐えた。我慢する。
かつてのブロンクスの若い男のように気安く女性へ声をかけるのはまっとうな新大陸紳士にあるまじき行為だと、さんざんヘンドリクスから“教育”を受けているのだ。例えあの“相棒”がここにいないとしても、無視することはできない。
そう、それにもしも彼女が何か窮地にあるのならば、それなりの表情を浮かべるはずであるし、あちらから声を掛けることもあるだろう。
モニカは持ち前の頑固さ──まさしくマクバーランド上級探偵にも揶揄される欠点であるのだが──をも発揮して、ともかく耐えた。
言葉を掛けることなく、少女の“左からの”横顔を見つめ。
やがて、後ろ姿を見送った。
──故に、やはり気付くことはなかった。
──彼女の右瞳が、1年前に出会ったレディの“それ”と似ていたことに。
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