──それは、鋼の銃と鋼の刃が未だ共に寄り添わずにいた頃のこと。
 ──それは、仮面の物語。

 後悔があった。
 悲しみがあった。
 寂しさがあった。

 そして、何よりも、燃え盛るまでの怒りがあった。
 何もかもを灼き尽くせと叫ぶ感情の奔流があった。

 大きく渦巻く疑問があった。
 心ごと身体を内からねじ切れんばかりの、混乱と、混沌が、疑問だった。
 怒りを源泉として渦巻くものだった。
 後悔、悲しみ、寂しさ、感情が、それに呑み込まれていく。

 手のひらからこぼれていく赤は、命のそれだ。
 愛しいひとを失う感触だ。
 愛しいひとを奪う感触だ。

 どうして。
 なぜ。
 なぜ?

 なぜ、あなたは命を失うのか。
 なぜ、あなたは死してゆくのか。
 わたしの目の前で。

 わたしの愛したあなたは、なぜ、喪われていくのか。
 わたしの手は届いたはずなのに。
 わたしは、約束を、したのに。

「なぜ」

「どうして」

「あなたが」

 なぜ!

 わたしではなく!

 あなたが!

 疑問に応える声はない。
 ただ、ただ、両手から溢れ落ちていく命の赫色だけが現実だった。

 あなたは喪われていく。
 わたしは、こうして、生きているというのに。

 なぜ。
 なぜ。
 なぜ!

 なぜ、あなたの胸に、黒剣が突き立っているのか。
 なぜ、わたしの手は、それを阻むことができなかったのか。

 返答はない。
 返答はない。
 ただ、沈黙に、自らの呻く声だけが溶けていくだけ。

 そして──

 声なく嘲笑する仮面の狂人の視線だけが。
 黄昏に舞う天使のように、残酷に、冷酷に、絶望を現実へと変えていく。
 夢であればと願う心を砕いていく。
 こころ、怒りが、染め上げていく。

「許さない」

「許さない」

「許さない」

「許さない」

 言葉は、擦れて。
 声は殆ど出ない。
 けれども、それは、確かに叫びだった。

 わたしは全霊を込めて叫ぶ。
 わたしは決意を込めて叫ぶ。

 復讐を。
 わたしの愛するあなたを殺した者を、わたしは、決して許さない。
 許すものか。許すものか。許す、もの、か。

 おのれ。

 おのれ。

 おのれ──

 

             ◆            ◆            ◆

 

 ──幻のようなものを見た。
 ──あたしは、あたしの瞳は、それを見つめていた。

 また、あたしは街の中にいて。
 二番目に訪れた街に似ているけど、仔犬と女の子のいた街にも似た街。
 街の、暗いところにいた。

 空を、機関の機械の……。
 自動車(ガーニー)、かな。
 そういうものが飛んでいて、モールみたいなひとたちが歩く、不思議な街。

 暗い場所。
 暗い路地。
 息詰まる暗がりと似た感じがした。

 そこで──

 あたしは、あたしの瞳は、見た。

 誰かが、そこで、両手を見つめて震えているのを。
 何かが、そこで、笑みを浮かべているのを。

 誰かは人間だった。
 ネコビトでも、モールでもない。人間。
 あたしには見えない何かが見えてるみたいに、地面を見つめて、小さく小さく何かを言っている。声、小さすぎて、あたしには聞こえない。

 何かは、幻みたいなものだった。
 人間じゃないよ。
 だって、それ、足下が、地面から少しだけ浮いていた。

 空中に立っていたから。
 実体がないみたい、重さがないみたいに、揺らいで。
 幽霊(ファントム)みたいだった。

 幽霊。亡霊。Aの百科事典にあったもの。
 実体のない、幻のようなもの。

 Aは「そんなものは実在しない」と言っていたけど、あたしが、あたしの瞳が見つめていたのは、幻のようなそれだった。幽霊、言葉がするりと出てきた。
 幽霊。ファントム。
 あれは、そういうものとは違うの?

 寒い。
 寒い。
 なに、これ。寒いよ。寒いんだ。
 あたしはやっぱり仔猫の体で、小さくて、毛並みがあって、ふさふさだったのに、それなのに、寒かった。

 両手を見つめて震える誰かを見つめる、何か。
 それは顔を隠していた。
 それは仮面を纏っていた。

 ──似ている。あの仮面。
 ──泣き、叫んだ、あの男のひとの仮面に。かたちは違うのに。

 印象が同じだった。
 白く、硬い、嫌な感じがする仮面。

 あたしは反射的に、幽霊に飛び掛かっていた。
 ううん。飛び掛かろうとした!

 勝手に体が動いていたんだと思う。
 あの仮面は、だめだ。
 だめ。
 あっていいものじゃないんだって、なぜか、そう、思って──

「ニャ──ッ」

 飛び掛かった。
 仮面、外さなきゃ、って思って。

 でも──

 

 ──あたしの小さな爪は何も引っかけられずに。
 ──そのまま、あたしの体は落ちていく。また、別の、物語へ。