「……変異?」



















「はい。10年前の《復活》以降、インガノックを襲った現象の総称です。異形化と呼ばれることもありました。あらゆる生き物、人だけでなく動物や草花も含めた生命に訪れたものです。ですが、都市解放以後の症例は今回のあなたが初のものとなります」

「それで……症状みたいなものは……」

「わかりません。現象例の幾つか、件数の多いものは都市管理部の記録に残されていますが、あなたのものはどうやらそれには該当しません。非常に珍しいケースでしょう。私の数式眼で診断したところでは、外見以外の肉体的問題は確認できませんでした」

「そう、ですか……」

 偉いお医者さまの言葉にあたしは頷くしかなかった。
  都市管理部の手配してくれた第2層の大きな大きな医院の第1診察室という場所で、不思議な光を両目の前に浮かび上がらせたそのお医者さまは、初老の、いかにもお医者さまらしい“人間”の姿をしていた。
  あたしや、Mと名乗る彼と同じ姿。
  変異していないのか、それとも西亨人なのかしらと思って驚いたけれど、お医者さまは笑って「私の場合は大脳が変異しているんですよ」と仰っていた。

 ──変異。異形化。
 ──このインガノックが異形都市と呼ばれた所以。

 あたしにとっては完全に他人事だった。
  知らないこと、空白の10年の間に起きた出来事であると新聞などで知ってはいても、まさか。自分の身に起こるだなんて。

 実感が湧かない。
  だって、目には外見以外に異常はないのだもの。

 それよりもあたしにとっては、お医者さまが言う「数式」であるとか「現象数式」であるとか言う言葉のほうが問題だった。お医者さまが説明するたびに、痛む。頭が。

 ずきずきと、ほら。痛い。
  ミスター・Mが“機関人間の娘”と言った時とほとんど同じ、ひどい痛みがあたしを襲っていて。

「あの、ドクター……」

「何でしょう。ミス・アティ」

「……頭が痛いんです。これは、この……右目と関係があるんでしょうか」

「残念ながら」

 私の数式眼では診断できませんでした、とお医者さまは言った。何でも、物理的な意味で右目が頭痛の要因として作用している痕跡はない、とのこと。よくわからないけれど、血管であるとかそういうまっとうな意味での頭痛ではない、とお医者さまは言っているようだった。

 ──物理的な理由がない?
 ──じゃあ、気のせい?

 ううん、そんなはずない。
  こんなに痛むもの。

 こんなに……。
  ずきずきと、刺すような、まるであたしがあたし自身を責め立てているような、ひどい痛みがはっきりとあるのに。

「大丈夫。ご心配いりませんよ、ミス・アティ。
  このまま貴女を放ってはおきません。我々はあまりに長い間、そうしてきた。誰かを救うという根本的な行為をしてこなかった。だが、今や我々は過去を恥じています」

 ──過去。
 ──あたしの知らない10年間。

「過日、上層貴族センケンネル家の支援で、変異に伴う苦しむ人々を救済するための医療財団が設立されました。私も所属しています。数式医複数名の診断によって、より専門的な治療と詳細な原因調査が可能です。私より上質な診断数式を扱う者もいますから」

「はい……」

 貴族さまの名前が出てくるだなんて。
  しかも、あのセンケンネル家。
  都市解放の後、大公爵さまの不在が明るみになって、それからはセンケンネル家がインガノックの支配貴族の代理を務めていることは、あたしも知っている。取り寄せた新聞のバックナンバーで読んだから。
  慈善事業の財団を作ったとは、あったけど……。

 あたし自身がお世話になるなんて考えてもみなかった。
  なんだか大変な事になってしまうようで、気が引ける。痛みのせいで分散しそうになる意識で、あたしは、もしも貴族さまに会ったらどうしよう、とか、考えて。

 きっとそんな余計なことを考えようとしたからだと思う。
  ありがとうございます、と、お礼を言った時に。

 ──お医者さまの名前を。
 ──誰かと間違えそうになってしまった。

 ──誰と──

 ──間違えそうに──

 







[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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