ア  フ  タ  ー  ザ  イ  ン  ガ  ノ  ッ  ク
After the Inganock 03
 
 

 ──それは、彼が既に黄金の螺旋階段を昇った後のこと。
 ──それは、解き放たれた異形都市でのこと。



















 やあ、諸君。
  私の名前をこれから諳んじる者はいるだろうか。
  私の名前はランドルフ。
  今や私は狂気の中に落ちており、まともな知性を伴ってまともな思考をするのは月に一度程度という体たらくではあるものの別段それを悔いることも恥じることもない。
  私は狂人ランドルフ。
  誰も私が何を求めて何をしているかを知らない。
  誰も私が掘り続けるのが何であるかを知らない。

 我が目的は輝ける“銀の機関”を得ることなれども、それは苦難の道のりであって並大抵の穴掘りでは叶うことではないのもとうにわかっていることだ。
  この異形都市で見つけられなかったとしても、まあ。
  それはそれで悔いはない。

 お初の方々であれば我が名は覚えているが宜しい。時折眠りより目覚める我が脆き知性は決して裏切らぬし後悔させることもないだろう。私が語るのは狂気かその残り香であって、その中で呼吸する術こそ私そのものであるからだ。
  もしも貴方が西享人であるならば特にだ。
  もしも貴方が異形都市に興味があるなら特にだ。

 そう、異形都市。
  かつてそう呼ばれた都市がある。

 それをインガノックと人々は呼ぶだろう。

 既に文明の灯りによって追いやられた《ふるきもの》たちが在った、41の声と幾つもの想いに満ちていた、閉ざされていた都市。閉ざされていた10年という時間の中で、数多の機関機械、数秘機関、現象数式、等々の異形技術が開花せし暗がりの都。
  今は違う。
  今は違う。

 ──そう。
 ──そうだとも。諸君。

 既にインガノックは解放された。
  インガノック歴10年、連合歴であれば恐らく534年か535年に、41の声は解き放たれたのであるから、既にここは異形都市と呼ぶには相応しくない。

 内であれば10年前だが外から見ればおよそ2年ほど前に発生したことになる《復活》によって外界と隔絶していた完全環境型都市インガノック。今や、そこには無数の異形こそ残れども、変異のクリッターは既にない。

 誰もが都市を出ることができるし、周囲を取り巻く無限の霧は消え去って、誰もが都市へと入ることができる。変異した人々の住まう“かつての異形都市”へと足を踏み入れる勇気があればの話ではあるが、どうやら外界の人々にとってはインガノックの閉ざされた10年で生み出された生き抜くすべ、すなわち機関技術であるとか数秘機関であるとかは非常に魅力的に映るものであるらしい。特に、権力なるつるぎを持つ人々にとっては。

 さて、そんなことは、どうでもいいことだ。

 都市を脱出しようとする人々もある。
  都市へ踏み入ろうとする人々もある。

 そして私は穴を掘る。
  地中奥深く、湖上都市であるインガノックの巨大な層プレートと支柱の内側が私にとっての“穴掘りの地中”であるからには、その上で行われていることのすべてはどうでもいいことに過ぎないのであるから、たとえば地図上ではインガノックを領土の一部とする王侯連合であるとか遥か彼方の北央帝国であるとかが人を遣わそうとも知ったことではない。たとえば西享から訪れた客人であろうとも、同じこと。

 目に見えるもののすべては真実でしかない。目に見えることのない現実のすべてなどは、ただの障害でしかない。このランドルフである私にとっては。

 さて、さて。

 黄金螺旋階段のことを諸君は知っているだろうか。
  貴方はそれを昇ろうとした人々のことを、まだ、覚えているだろうか。その傍らにいた人々のことを、まだ、覚えているだろうか。
  私は覚えている。
  貴方もきっと覚えているだろう。

 ならば今日は、彼女の話をしよう。
  変わる前のインガノックにも、変わった後のインガノックにも、解放された後のインガノックにも、ずっと居続けている彼女の話だ。けれども《復活》が在った頃のことすべてを失った、文字通りに失ってしまった彼女の話をだ。

 かつては猫であるとか黒猫であるとか呼ばれた彼女だ。
  黄金螺旋階段の果てへと至ったあの男の傍らにあって、寄り添い、暮らして、その記憶と事実と“増殖する現在”のすべてをかの男に奪われた“人”である彼女の話だ。

 彼女は、日々を過ごしている。
  覚えなき過去の暗がりを求めながら。
  インガノック歴11年、季節不明の異形都市でもそうだ。

 失われた10年の記憶、10年の空白を追い求めながら叶わず、進まんとする道を見失うまいと足掻き、それでも叶わずぐるぐると同じ場所を回り続ける彼女。
  かけらさえも見つけられずに、我知らず流れた涙の意味を求めて異形都市の残滓に暮らす彼女の話だ。

 求めるそれは果たして何か。
  夢か。現か。
  10年の間に在ったはずの現実を確かに求めているのか。そこで見た夢を求めるか。完全に失われたと彼女が信じる記憶、その在処はずっと遠くにあると思われているけれど、果たしてそうなのか。
  記憶などというものはあやふやで、現実の前では夢幻に等しく、儚く。

 ──さて。
 ──ここからは、追い求める彼女に話してもらおう。

 ──耳を澄ませたまえ。
 ──聞こえるだろう、黄金螺旋階段の果てに──

 







[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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