──見覚え、なのかな。何。
 ──あたしはこの層のことを知っている?




















  都市モノレールで第7層へと降りて第5層以上の喧騒に満ちた人混みへと降り立ったあたしは、妙な、とても妙な感覚を味わっていた。
  既視感と呼ぶには何か抵抗があったけれど。

 はっきりとした見覚えはない。行き交う異形の人々を見つめても心あたりは何もない、沸き上がる記憶も、ああそうかという実感も何ひとつないというのに。

 どうして。
  この音、この匂い、あたしは知ってる気がする。

 この区域を無限雑踏街と呼ぶことを、あたしは出発前に情報機関で読み込んだ下層情報一覧で一応は記憶していた。確かに名前の通り、延々と続く雑踏と喧騒は果てがないかのように思える。夜でも昼でもこの街の姿は変わらないらしい。

 ふらり、とあたしは歩いていた。
  地図情報のプリントアウトを握りしめたまま。

「28区域……」

 小さく、小さく呟いて。

 呟きながらあたしは歩いていく。どうして最寄りのモノレール駅で降りずにこんな人混みの中へと降りてしまったのだろうと疑問に思う余裕は、あたしにはなかった。
  自然と降りていたし、自然と歩いていた。
  あたしの情報改竄を依頼したという謎の人物のいる街。あたしが見たことのない第7層、無数の異形の人々の声、ほのかに聞こえてくるロマの人々の楽器の音、まだ昼間だというのに酒場からは賑やかな声が響いてくるし、路地の隙間からは叫び声のようなものまで聞こえてくる。

 恐いとは思わなかった。
  つい先ほど、第5層で震えていたばかりなのに。

 あたし。
  この層に慣れている? 知っているの?

 ──記憶はない。
 ──よくよく考えていても見覚えも聞き覚えもないのに。

 胸が高鳴っていた。
  緊張か、恐怖か、謎の人物への警戒心か、ううん、わからないけど、確かにあたしの心臓はひどく早く脈打って、件の28区域へ急げと叫んでいた。

 なぜか、頭が少し痛い。まるで風邪を引いたみたいに。
  突然だった。
  でも、あたしはそんなことを気にしない。歩く。

 ──歩く。
 ──歩く。
 ──歩く。

 そして、あたしは辿り着く。第7層28区域のA−3アパルトメント跡。そこはどうやら10年間の間に建造されたものであったらしい。そう、跡。

 そこには何もなかった。

 瓦礫の山があるだけ。

 かろうじて建物の形を保って人の生活の気配があるのはその周囲で、肝心のA−3アパルトメントは、なかった。瓦礫の山が積み上げられているだけ。

 ──なによ。
 ──なにも、ないじゃない。

 あたしはその場に立ち尽くす。
  高鳴っていた胸が、すっと収まっていくのがわかる。ここの情報を蜥蜴の彼女に頼んで調べよう、とか、周囲の建物の住人に聞いて誰が住んでいたのか確かめよう、とか、そんなことは思いつかなかった。

 誰もいない。
  ここには誰もいないんだ。

 なぜか、そう、確信があった。
  ここはただの跡。もう誰もいない、何もないんだもの。

 何も……。

 何も……ない……。

「このアパルトメント跡に何か用か」

 声があった。
  それは、男性のものだった。落ち着いた低い声。

 黒ずくめの風変わりな容貌の男性。背が高い。風変わりであるというあたしの感性は10年前の古臭いものだから、この場合は都市に馴染んでいると言ったほうが適当なのかも知れない。ともかく、黒い男だった。

「はい、その……多分、ここに住んでる……住んでいた……かもしれない人に、用があって……」

「曖昧だな」

「……ごめんなさい」

「男か。女か」

「わかりません」依頼をしたという“誰か”の性別は、あのDヘッドも断定していなかったから。

「そうか。お前は、緑の石を知っているか」

「石……?」

「第7層28区域A−3アパルトメントに住んでいる男が石を集めていたという話を聞いた。お前の用向きは、それとは関係があるか、それとも無関係か」

「……いいえ……なに、石……ですか?」知らない。何、それ、石って。「……初耳です……ほとんどのことが、そうだけど」

「そうか」

 黒い男はあたしを見ている。
  あたしの右目を、なぜか、じっと見ている。

「石の残滓が首筋にあるな」

「……?」

「女。お前の目当ては何号室の人間だ」

 あたしは首を横に振るしかない。
  それも知らない。
  Dヘッドは、そこまでの位置情報は把握しなかったと肩を竦めながら言っていたから、あたしにはわからない。

 そう、わからない。
  何もない。

 あたしは、ここで手がかりを失ってしまったんだ。
  自然と溜息が出る。
  意気込んでコンドミニアムを出てきたのに、結局、日暮れ近くまでモノレールと徒歩を繰り返して、恐い思いをしただけ。情けない。

「気落ちするな」

「……?」

 ──何?
 ──この人、慰めてくれてるの? なぜ?

「俺は『M』。この都市の何処かに散らばった緑の石を探している西享人だ。お前は……」男は目を凝らしてあたしの右目をもう一度見る。「……そうだな、まだ、手を尽くした訳ではないだろう」

「え……」

「このアパルトメントの登録情報は拾ったか」

「い、いえ、まだ……」

「ならばまだやることはあるだろう。違うか」

「え、ええ──」

 情けないことに、あたしは。
  彼に言われるまでそのことに気付かなかった。そう、まだやるべきことは残っている。瓦礫の跡を見ただけで意気消沈して何もかも諦めるなんて馬鹿馬鹿しい。

 あたしは頷いた。
  確かに、やることは残ってるはず。

 ──そうですね、とあたしは男に言いかけて──

 






[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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