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──そして今、あたしはぼんやりと窓から空を見ている。 |
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涙はやはり出なかった。 ただただ呆然としていただけ。 暫く日々が過ぎて、あたしは新聞を取ることにした。この第2層のコンドミニアムにはおよそ生活に必要なものが揃っていたから特に大きな買い物をすることもなく、時折、10年前よりも進んだ機関機械だらけの第2層の商業区画へと出向いて食事の材料を買ってくるぐらい。 料理は得意。手先の器用さが10年前のあたしの自慢。 コンドミニアムはあたし以外には1人か2人の住人がいるだけで近所付き合いと呼べるものは殆どなかったから、新聞を読むことであたしは現在のインガノックを知った。 新聞でそういった事柄を目にするたびに、あたしは、あたしが10年の記憶を失っていることを認識させられた。皆が語る10年を、苦しみの中にあったという10年を、あたしは──アティ・クストスは失っていた。 ──残されたのは右瞳への違和感だけ。 蜥蜴の女性とはそれなりに仲良くやっていけた。あたしに残された両親の財産は結構な額だったので、それで、幾つかの調査を頼んだりもした。 幾つかのことがわかった。 両親の死について、ふたりとも10年前の《復活》の際のクリッター災害に巻き込まれていたということ、あたしには親族などの身寄りがないこと。アティ・クストスを知る人間は、あの山羊のお医者さま以外にはこの第2層にはいないということもわかった。 ある日、蜥蜴の彼女は言った。 『このお部屋だけど……あなたが手続きしたことになっているんです。ご両親の事故のあと、ご自分で』 『あたしが?』 『ええ。クリッター災害に遭われる前のご両親がこのアパルトメントと契約したという記録は残っていないんです。それに、このアパルトメントには、記録の上では7年前まで他の2級市民が住んでいたようです』 『それって、どういう』 あたしは驚いた。 蜥蜴の彼女の話はそれだけでは済まなかった。アティ・クストス名義の中央機関銀行口座に残されたお金は、振り込み名義は確かに両親の遺産ということであったけれど、振り込まれた日付は5年前のもの。都市の相続法では、両親が死んでから半年以内の手続きが行われなければ財産は没収されてしまうというのに。 どういうことなの。 『こちらの書類も確認していただけますか』 『……戸籍情報?』 『摩天楼の都市管理部でプリントアウトしたものです。あなたの戸籍情報、これで、間違いないです──よね?』 『ええ、間違いない……』 言いかけて。あたしは絶句してしまった。 なぜ。なぜ。どうして初等教育施設の名前が違うの。あたしはネーデルマン記念女子用初等教育施設に通っていたはずなのに、プリントアウトに記されたものは、都立の男女共学制教育施設のものだった。なぜ。なぜ、自分の記憶しているものと、現在の戸籍情報が異なっているの。 あたしの記憶が間違ってる? ううん、そんなこと、あるはずがない。遠い記憶ではあっても、あたしは確かに教育施設の顔ぶれを覚えている。きっとこれは戸籍情報のほうが何かの手違いで── 『それと、これも』 『……?』 蜥蜴の彼女が差し出したのは一枚の篆刻写真。 そこには、今現在とほとんど変わらないあたしの姿が映っている。ああ、眼鏡をしているのが、違いかな。今のあたしは眼鏡をかけていない。あたしが自分に気付いたあの日、あの時、持っていなかったから。 どうしてか、新しく眼鏡を作る気にもなれなくて。 『そっくりですよね』 『ええ、あたしの写真、だもの……』 『都市摩天楼の情報書庫で入手したんです。10年前の、あなたが情報用機関機械操作3級免許を申請したときの、登録用の顔写真です』 『……え? でも』 『そう。10年前の貴女です。なのに、今と同じ顔』 ──年を取っていない? 『嘘、そんな、写真の日付が、間違って……』 『都市管理部に登録された情報が2つも間違う可能性、ご存知ですか。およそ0%、正確には42兆分の1だと言われています。つまり、自然にはあり得ない。それでも、もしもこの写真や戸籍情報が本当に間違っているのだとしたら、あなたの情報が改竄されているんです。何者かに。そしてそれは、決してこの都市では珍しいことではありません』 言葉を聞きながら、あたしは思い至っていた。 新聞を取っていてよかったと心の底から思った。でなければ本当に10年間も年をとっていなかったのかと、そんなことを信じてしまうところだった。 新聞に記されていた、半ば噂話の存在とされている都市情報空間の犯罪者たちのことを。ハッカー。情報空間の魔術師と呼ばれる彼らは、偽造も改竄も不可能と言われる都市管理部の情報さえも容易にねじ曲げるという。 ──そして、あたしは今。 空から携帯型の電信通信機へ視線を下ろす。時間だ。 誰かがあたしの情報を改竄している。それがあたしの2つめの事実。 ──それを突き止めるために。
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[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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