狂信的暗殺教団《血塗られた舌》。
 一般にはその忌まわしい名は知られていない。

 名と存在を知るのは各国の情報・諜報組織やその暗闘に関わる者程度か。社会のどす黒い暗部のさらに底のあたりを這いうねる集団であった。
 暗闘と陰謀を是とする情報組織同士の抗争に於いて、そんなものを露とも気にすることのない自滅的、刹那的で常に“実行”のみを是とする組織だ。世の中には正気を疑う例外的存在や規格外と呼べる驚嘆すべきものが常に幾つかあって、何処の国家のものとも知れない、アフリカ大陸の秘境だとか古代のエジプトだとか如何にも妖しげな出自を謳うこの殺人教団の存在はまさしくそのひとつと言えるだろう。

 英国を初めとする一部の情報組織においては、教団は、とある神性を奉じる狂信的宗教組織ネットワークの一角を成す組織であるとされている。ネットワークの基幹はかつて大英帝国内部で陰謀を企てたが、かの国の保全組織として密かにその名の知られた《ディオゲネス》(ディオゲネス・クラブという呼び名もある)及び《知り得る者》の大称号を有する諮問探偵と愚かにも敵対し、結果として全組織が瓦解したと伝えられるが、事実は些か異なって、こうして、暗殺教団のみが未だに活動を続けている。
 活動──
 人を。殺すのだ。

 ──新大陸北西端アラスカ域に位置するロシア領バラノフ島。
 ──シトカ・シティ。

 アラスカとユーラシア大陸を結ぶ大陸間鉄道の中継都市であるシトカに、かの教団に属する集団が姿を見せたのは、1908年某月某日のことだった。
 彼らの目的はただひとつ。
 殺人だ。

「時を這い寄るもの(チクタクマン)の名の下に」

 そう口々に呟きながらシトカ郊外の飛行船空港から出てくる黒外套の集団は、一時、シトカの街角で語られる噂話(フォークロア)となったとも伝えられているが、彼らの正体と目的を察した者は、彼らがシトカ・シティへと浸透した時点ではただのひとりもいなかっただろう。
 黒外套、顔を隠す黒いフード、揃って逞しい長身の男性。
 人種さえもわからないその黒い姿は、一見するだけで異様さが際立つ。
 偶然その場に居合わせた観光客がぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまうほどに目立つ外見であるにも関わらず、彼らの偏執的なまでの執念は熟達の諜報組織のそれに及ぶというのだから驚きだ。事実、数人の観光客が絶句して見守る中、シティへと彼らが浸透、潜伏したその日の晩には、彼らは自らの獲物の居場所を見事に突き止めていた。

 獲物の居場所。
 すなわち、シトカ・ロード・アテーリ。
 英語名は、シトカ・トーテム・ホテル。

 アラスカのバラノフ島中央西部、英語名リトル・フィールド・ウェイ沿いに位置し、シトカ港を望む比較的高級なホテルだ。元は小さな宿であったというが、バラノフ島全体が大陸間鉄道の恩恵を受けてひとつの“シトカ・シティ”とも言うべき状態にまで発展した現在では大型のホテルとして名を知られている。
 発展したとはいえ、未だ、シトカは牧歌的な様相を残している。
 大型のホテルと言えど、その背はあまり高くない。世界最大の機関都市ロンドンのような高層建築は中心部以外ではさほど多くなく、このホテルも、複数の建築物から構成されてはいるもののせいぜいが3階建てといったところ。
 その3階の一室に滞在するという若い女が彼らの目的、獲物だった。
 殺す相手、だ。

 1908年某月某日、深夜2時。
 シトカ・トーテム・ホテルの西側玄関に集結した黒外套の集団は総勢13名。
 全員が鍛え抜かれた戦士であり、狂える信徒であった。

 その狂的な残虐行為が有名を馳せてはいたものの、実際の彼らは、事に及ぶまでの間は実に効率的で優秀な集団だった。情報を収集し、人知れず目標に接触し、そして惨たらしいまでの殺人を行うのだ。
 この集結時に彼らを目撃した者はひとりもいない。
 いないということになっている。

 彼らは言葉なく、互いに頷き合うと、一斉に黒外套の中からぬらりと重く鋭い凶刃を抜き払った。おぞましい武器だった。感受性の強い人間であれば、その形状のおぞましさのあまり卒倒し兼ねないほどのものだ。あるいは年若く弾力に富んだ感受性を持つ幼い者であれば、形状から放たれる原始的(primitive)な力強さを感じ得たかも知れない。
 プランガ。これらの武器はそういう名を持っている。
 信じられないほどの見た目をした邪悪な鉤爪状の武器だった。
 鉈や鎌、大型のナイフと一口で形容してしまうには、あまりにも禍々しい。

 彼らは各々のプランガを掲げると──

「時を這い寄るものの名の下に」

「穢れしもの(toxic spirits)の威に依りて」

「女を殺せ。雫を滴らせ脈打つみずみずしい心臓を捧げよ」

「捧げよ」

「捧げよ」

「捧げよ」

「捧げよ」

「いあ・いあ──」

 口々に、自らの奉ずる神性への言葉を述べた。
 彼らの獲物はすぐ近くにいる。
 いつものように、彼らは自ら定めた仕事を遂行するだけだった。獲物とした人間が泣き叫ぶ声を彼らは決して忘れない。起きている時も、眠る時も、常にそれを意識する。決して悔恨や罪悪感などではない。その逆だ。狂うほどに信ずる神性のために捧げられる犠牲者者たちの悲鳴と苦痛(pain)は、彼らにとっては、小鳥の囀りやさざ波のように心地良く、安堵と穏やかさを感じられる尊いものであり、永遠に自らの脳髄に留めておくべきものなのだから。

 まずは、西側玄関からフロントへと入ろう。
 もしも誰何の声を掛けられたなら、即座に殺して次へ進もう。獲物と定めた者に祝福たる悲鳴と苦痛が必要だが、そうでない者の命は軽いのだから。殺して捨てて構わない。
 警備の類さえ音もなく処理できる。
 何の苦もなく3階へと辿り着くだろう。
 運悪く、この深夜に廊下を歩く宿泊客がいたとしたら、やはり障害に過ぎないので即座に殺して先へ進もう。屋内は彼らの領域だ。床、壁、天井を自在に跳ねてプランガを振るう彼らの立体戦闘に太刀打ちできる者などいない。

 音もなく扉を開けるとしよう。
 眠る獲物の、まずは自由を奪うとしよう。
 それから後は歓喜の時間の始まりだ。
 さあ。行こう。

 さあ、悲鳴を耳にしよう。
 さあ、苦悶を目にしよう。
 さあ、大司祭クライブの言葉を今まさに実行しよう。
 さあ。
 さあ。
 さあ。
 いあ。
 いあ!

 ──いあ! いあ!!

「待て」

 と──

 黒外套の集団を呼び止める声があった。
 まさに、彼らがフロントへ移動を始めようとする2秒前のことだった。狂える一団は全員が同時に振り返った。生なき機械人形の如き、無機質で無感情な動きで。

 呼び止めたのは男だ。
 白い男、だった。

 男は白い姿をしていた。
 白色の服装は何処かの小国の海軍服のようにも見受けられる。
 男だ。人間。
 彼の瞳には揺るぎない意思があった。
 頸部に巻き付けられた長い長い黒布は夜の風に煽られ、はためいている。

「約定の輝きと、我が雷電の名の下に」

 時折、黒布の周囲に光が疾る。

「罪業なるもの。疾く去れ」

 

 ──それは、夜闇のただ中でひときわ強く瞬く雷光の輝きに似ていた。