「まぁたシードルなんて呑んでるんですかぁ?
  もっと強いやつ呑みましょーよ。ドラッグ・イン・カクテルなんていかがですかぁ。マスターもお勧めのキツい新作があるんですよぉ。おっきな《熊鬼》さんも一発でベロベロになっちゃうやつ。黒猫さんも気に入ると思うなー」


















「あっち行って」

「じゃあじゃあ、アムネロールなんていかがですー?
  2層あたりで作られたデザイナーズ・ドラッグで、今シードルと一緒にやるとすっごいって話でー」

「その可愛い耳をちょうちょ結びにされたくなかったら、2秒以内にあたしの視界から消えること」

「はーい☆」

 ──それは、彼があの子と出会う1週間前の夜。

 ちょっと腹が立つくらいに愛らしい《葉兎》のウェイトレスがお尻を振りながら去っていくのを眺めて、あたしは、黒猫であるところのあたしは小さく肩を竦める。アムネロールをデザイナーズ・ドラッグだなんて、どこから流れた話だろう。あたしが聞いた話じゃ、最下層近くのドラッグ・ギャングが色んな薬を混ぜ合わせて作った最悪のカクテルってはずだったのに。
  第7層の無限雑踏街。行きつけと言うほど行きつけてる訳じゃない機関酒場で、あたしは今日もシードルを頼む。キンキンに冷えたやつ。この酒が冷やさないと呑めないほどまずいのは、10年前も今も同じだって、いつか年寄りが漏らしてたっけね。

 酒はそんなに好きじゃない。
  特別、嫌いでもない。

 でも、シードルはそれなりに好きな時もあるのさ。音を立てそうなくらいの、この小さな泡の粒がいい。
  次々と弾けては消えていく、空しい泡がいい。

 今夜は早めに仕事(ビズ)が終わったから。だから酒。
  小さな、都市管理部天下りの大手系列企業の研究所へと忍び込むスラッシュな仕事が終わったのが、2時間前の、午前零時。床を車輪ですいすい滑るように走ってご禁制の銃を撃ち放ってくる自動機械ってのを幾つか頃がして、目標の書類を奪って依頼人に渡して、はい、おしまい。

 銃弾を避けるのは疲れる。
  機械相手なら特に。

 視線が見えないから銃口ぐらいでしか判断できないぶん、神経がすり減る。当たったら概ねおしまい、って状況は背筋が冷えるスリルがあるけど、やっぱり、疲れる。

 仲間と打ち上げに行くほどの体力は残ってない。
  だから、こうしてひとりで。

 まっすぐに寝床へ、あの変わり者の巡回医師の彼のアパルトメントへ潜り込むのは、疲れて余裕があんまりないあたしを見せることになるかなと思うから少し嫌。少し。
  だから、こうしてひとりで。

 あたしはシードルのグラスを傾けるのさ。
  透明なようでいて、少し濁ったガラスの向こうで、幾つもの泡が見える。弾けて、消えて、弾けて、消えて。

「……ん」

「お? 女のひとり酒なんてみっともねえ奴は誰だと思えば、なんだ、黒猫じゃねえの」

 ──ああ、もう。気付かれた。
 ──グラス越しに見える一匹の《鳥禽》が声を上げて。

 来なくていいのにわざわざカウンターのスツールを降りてあたしのほうへ歩いてくる。鳥。風使いのデビット。別に現象数式を使う訳じゃなくて、速い上に、空まで飛ぶからそう言われるだけ。インガノックの淀んだ空を飛ぶことのできる、けれど空の果てへ行くことなんかできやしない、できそこないの鳥。嫌味をよく言う、嫌な鳥さん。

「他の連中と一緒だと思ったけど」

「途中まではな。嫌な顔があったんで退散したんだよ。お前も覚えてるだろ、あいつだよ。《氷》のクリスティナ。数式(クラック)使いのクリス。あいつがデカイ顔して居座ってる酒場だったもんでね」

 ──あいつか。
 ──凍てつき凍らせ《氷》のクリスティナ。

 あたしは嫌な顔を思い出す。女の名をした機関式義眼の色男。いつも女を侍らせて、通り名(ストリート・ネーム)そのままの氷の表情を顔に張り付かせた男。荒事屋(ランナー)を名乗った、ただの快楽殺人者。10年前は博物学の碩学だったって言うけど、本当かどうか。

 あいつと初めて関わったのは2年前のこと。
  あいつはベアリング社に雇われて、あろうことか《荒事屋殺し》と組んで暴れ回っていた。最悪だ。

 ──そう。
 ──そうだ、ベアリング社。

 嫌な名前と一緒に、あたしはもうひとつの嫌な顔を思い出してしまう。ずっと忘れていたあの顔。
  青白い、巡回医師の彼とは別の意味で、ううん、同じかも知れないけど少なくともあたしにとっては別の、青白い男。都市の影よりも濃い夜闇の黒色の中で輝く、あの赤い瞳だけは、2年が経っても忘れることなんてできない。

 忘れることなんてできない。
  例え、この2年の間、一度も思い出すことがなくても。あの赤い瞳が、彼を、巡回医師を、ギーを手にかけようとしたあの瞬間のこと。

 忘れない。
  あの時のことだけは。

 ああもう。
  ああもう。

 嫌になる。あっという間に嫌な酒。本当、デビットというこの嫌な鳥にはいつもいつも、いつもいつも……。

「なんだよ。不機嫌な尻尾してるな」

「きみのせいさね」

「詫びに朝まで付き合おうか? 昼まででもいいぜ」

「冗談」

 ああもう。本当に。
  この鳥は、冗談ひとつとっても面白くないんだから。すっかりシードルをそれなりに楽しむ気持ちを失ったあたしは、もう一度肩を竦めると、少し逡巡してから席を立つ。

 下世話な意味でこっちを見ていたと思しきあのウェイトレスに、ジェスチャアをして、店を──

「なんだよ、黒猫。ヤサに戻るのか?」

「ヤサって訳じゃないさ」

「はいはい。あの青白い変わり者のドクターによろしくな」

「よろしくされない」

「はいはい」

「……あんまり言うと、風きり羽、抜くよ」

 ああもう。腹が立つ鳥だこと。
  ウェイトレスに「代金はこの鳥につけといて」とジェスチャアしたことは黙っておこう。あたしは、頭の上の“耳”をぴくぴくとわざとらしく動かすと、鳥に背を向けて店を出た。

 ──ヤサじゃないけど。
 ──行く回数は確かに多い、寝床へと、向かう。

 



[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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