やあ、諸君。
私の名前を覚えている者はいるだろうか。
私の名前はランドルフ。
今日は調子がそれなりに良いので、さほど狂ってはいないのだがあまり時間もないであろうからあまりのんびりと知性の残り滓に浸っている暇もないのだ。
お初の方々であれば我が名は忘れるが宜しい。このランドルフなる名は銀の機関と無形の鍵によって既に呪われており、カダスと西享のどちらの《ふるきもの》たちにも忌み嫌われ彼らの王にさえ呪われているのであるから、もしも貴方が西享人であるならば、やはり、忘れるが宜しい。
かつておとぎ話の中に生きていた《ふるきもの》たちは既に今はかたちを失い、僅かな言葉と想いの中に残るのみだ。
かつてのインガノックは私にとって心地よい側面が少なからず在った。
ここはかつて、あらゆるおとぎ話を失ったからだ。
今は違う。
今は違うがかつてはそうだった。
──そう。
──そうだとも。諸君。
ならばインガノックの話をしよう。
インガノック歴2年、季節不明の異形都市でのこと。
10年前に発生した《復活》によって41のクリッターとさまざまな幻想生物(モンスター)は、人々からおとぎ話と安寧とを奪い取った。理由はひどく単純。クリッターであっても幻想生物であっても、概ねの場合、誰かがどこかで夢見たものであったからだ。例えば本の中で、例えば空想の中で、例えばおとぎ話の中で、幼い頃に夢見たものにどこか似た怪物──概ねの場合、それらは人を襲う。特に初期発生した幻想生物の多くはクリッターと同じく人を害した。機関精霊のように無害なもののかたちなど当初はなかった。
だから人々は忘れた。捨てた。
誰もおとぎ話を語ることはなくなった。
おとぎ話の生き物たちは、インガノックの人々にとって恐怖そのものであったから。
そして人々はすべてのおとぎ話を失った。
すべてを。
──いや。
──いや、すべてではない。
牙を剥く幻想の中であらゆるおとぎ話を捨てたインガノックの人々は、いつしか、ひとつの話をするようになった。たったひとつだけ、願うように、請うように。
すなわちそれは、万色に変化する鋼の人影。
その名は《奇械》。
人ならざる鋼の影。
異形を砕く刃の手。
人に“美しいもの”をもたらす、都市に残されたただひとつの希望。
さて、さて。
ならば今日は、剣を手に取った彼の話をしよう。
ただひとつ残ったおとぎ話を背負ってしまった彼の話だ。
恐るべき《復活》よりさほど間もなく、下層には苦痛と涙と悲鳴と呻きとが溢れていた頃の話だ。人々の涙が枯れ果てる直前の頃だ。であればこそ、僅かな望みを賭けて人々は願わざるを得なかった。恐怖と死とを顧みることなく、剣を以てクリッターや幻想生物に立ち向かい下層を守る《路地の騎士(ストリート・ナイト)》の実在を願った。
故に、自らの手で剣を掲げてしまった彼。
故に、自らの背に鋼の彼女を顕現させてしまった彼。
輝ける剣を赤色と黒色に染めて足掻いた彼だ。
混乱と崩壊の傷痕が生々しく残る都市インガノックの中にあって、決して膝を突くことなく戦い続け、大型幻想生物の群れがもたらす数多の刃とクリッターに寄り添う恐怖とに立ち向かったという彼が選択して得たものは何か。
彼が、まだ時計を手にしていなかった頃。
インガノック歴2年、季節不明の異形都市でのことだ。
慟哭と嗚咽とが覚めやらぬ都市の夜を駆け抜ける中で。
人間であるがための無力と肉体を拭い捨て、無数の鋼を埋め込むことで大型幻想生物の牙と刃をかいくぐり、編み出されたばかりの数秘機関によって強化した脳神経でクリッターの恐怖と渡り合うべく、心に残る最後のものを絞り出し、幾ら剣を振るっても終わることのない、焼けた靴を履いて踊る舞いにも似た戦いを続ける──続けるしかなかった彼の話だ。最強最速と謳われながら刃の道を走り続けた彼の話だ。
たったひとりで。
砂の海で、ただ一粒の黄金を探し続けた彼の話だ。
──さて。
──ここからは、私でなく、あの子に話してもらおう。
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