──噂話のすべてが嫌いって訳じゃない。
 ──あたしだって、誰かに噂話をすることもあるし歓談だってするのさ。


















 でも。でも。
  誰かがあたしに噂話をする時は、大抵の場合、さっきみたいなことになる。気分が妙に暗くなる。必然のない“嫌な気分”は否が応でも酒をまずくしてしまう。だって勿体ないさね。こちとらシリング払ってるのに、気分良く酔えないだなんて。

 あたしは第5層の繁華街をなんとなくぶらついた。
  別の店に入る気にはなれなかったけれど、よく宿に選んでいる第7層の無限雑踏街近くのアパルトメントに行く気にもなれなかったから。明け方まで、何をしよう。ぼんやり考えながら、雑踏街ほどではないけれど、喧噪の渦巻く第5層繁華街を歩いて。

 ぼうっとしていても警戒と自衛心は失わない。
  何度か、半端に機関改造した酔っぱらいかドラッグ中毒──どっちでも概ね同じだとあたしは思うのだけど──の男に声をかけられたり肩に触られそうになったり体ごとぶつかってナイフを刺されたりしそうになったけれど、すべて、適当にやり過ごしたりぶちのめしたりして。
  男の吐瀉物がブーツにつきそうになって、さらに機嫌が悪くなって。

「……ああもう、嫌になるさね」

 気付けばあの場所に足が向いていた。
  荒事屋とハッカーの間では知らない者はいない、あの場所。

 それは第5層繁華街の端。
  曲がりくねった裏路地の一角にある、古ぼけたコンドミニアム。8年前の《復活》よりも前からあるという建築物、その正面玄関前。ここがそう。

 ここを知らない荒事屋はいない。
  ここを知らないハッカーはいない。

 そう──

 あたしが嫌いじゃない、あたしの好きな、噂話の舞台。
  ここがそうだと言われてる。
  あの噂話の結末は、ここで起こったんだって。

「……」

 あたしは無言でしゃがみ込んで、地面に触れる。
  インガノックの路地のすべては舗装道路。裏路地もそう。上層や第1層や2層あたりじゃ、道路清掃用の無人機関機械が勝手に掃除をするらしいけれど、ここは違う。まだ、あの、噂の“染み”が残っている。

 もうだいぶ薄くなってしまっているけど、黒ずんだ染み。
  これはふたりの命の染みだと噂話は語る。

 噂話。そう、荒事屋とハッカーの間にだけ伝わる噂話。
  とある凄腕のハッカーとその相棒の最期についての、事実かどうかはわからない、でもおとぎ話とも言い切れない、そんな話。噂話。
  本当かどうかは誰も知らない。

 雑踏街あたりの荒事屋の間で流れてる話はこう。

『凄腕のハッカーがいた。
  名前はケイスともKとも伝えられている』

『クロームの刃とも謳われた歴戦の荒事屋の女性Mを相棒にした、ひとりの男。それがケイスもしくはKだ。奴は、天才的な腕を以てあらゆる情報書庫をこじ開け、都市摩天楼における財務情報と機密情報の多くを手中に収める寸前にまで到ったって話だ』

『現象数式使いで、ハッカー技術にそれを応用していたのだという話もあるにはあるが、眉唾だろう』

『ともかく奴が凄腕だったのは確かだ。奴は大公爵に代わり、新たなインガノックの王となり得る。そう囁いた者もいた』

『だが、そうはならなかった』

『奴はある時、上層貴族の情報書庫に潜り込み、灼き器(バーン・スイッチ)の妨害を優雅にくぐり抜けながら、とうとう大公爵の情報に触れちまった。自分からそうしたのか、うっかりそうしちまったのかは誰も知らない』

『……翌日。ケイスともKとも呼ばれた男は死んだ』

『自宅前で消し炭になっているところを街路の不法居住者(スクワッター)に発見された。相棒であった荒事屋Mは姿を消したって、話だ』

 ──これが、荒事屋やハッカーの間で流れてる噂の中でも一番スタンダードなもの。
 ──ここが、そのケイス=Kの最期の場所。この玄関先がそう。

 でも、あたしが好きな噂話は少し違う。スタンダードなほうだと、淡々としていて、好きも嫌いもない。へえ、そうなんだ、っていうぐらいのもの。だからあたしはそんなに好きじゃない。

 あたしが好きなのは。
  もっと詳しい話。

 ──ケイス=Kの最期。
 ──本当の彼の最期はどうだったか、っていう、他愛もない噂話。








[sekien no inganock -what a beautiful people-] Liar-soft 21th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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