──あなたの顔が近付いて。あたしは避けようとしたけれど、体は動かずに。
──首筋に、冷ややかな感触。
「……あ、ぅ……」
声、ううん、呼吸が漏れた。
あなたの顔があたしの首筋に近付くのがわかって。瞬間、体中の血管の中でで沸き立っている熱が跳ねたような、そんな錯覚があって。顔を背けて避けようとしたけれど、できずに、あなたの唇が首筋に触れる。冷たい。冷たい。体温のない、溶けた氷の温度。
蛇の姿を霞む意識で思う。
低い体温を持つという生き物、多くの地域で“神”とされるそれ。
「……だめ……」
──音。声。そう。
──今度は、確かに声だった。
「……だ、め……ジェイム、ズ……」
見ているのに。
黒の少女の感情のない瞳、空色の。あの子が、あのひとが、見ている。だめ。
──だって、あなたは。
──あなたは。
「……モラン……」
その刹那、あたしは何を考えたのだろう。
わからない。
あたしは、この胸と全身とに渦巻いて沸き立つものが何かを知らない。
熱。飛沫のもたらした熱。そう、きっと、そうなのだと思う。
だって、あたしは。
あたしは。
首筋に、あなたの触れたばしょに濡れた感触があった。唾液なのか、あたしの中へと浸透したという飛沫なのかはわからない。ただ、濡れた感触があると認識した瞬間に、体じゅうの熱が跳ねて。
だめ、だとあたしは思う。
だめ。これは、あたしを。
かろうじて動いてくれた左手で、彼の肩を押す。何をしようとしているのか、そう、あの子と会話していた。摘出。飛沫を。熱を、からだの異常の原因を。そうであるはずだと意識できるのに、あたしは、嫌だった。触れられてはだめだと、なぜかそう思って。
焦っていたと思う。
本当に、離れて欲しくて、あなたに。
『暴れるな』
声。言葉ではない、正しく音声ではないそれは。暗がりのシャルノスで聞いた、あなたが呼びかけてくるものと同じ。頭の中、胸の中、どちらかへと響くもの。
あたしは気付かない。
瞼を閉じているから。
あなたの姿が人間ではないものへ変じていることも、
あなたの顔が蠢く恐ろしいものへ変じていることも、
気付くことがなくて。
ただ、あなたの手が、押しのけようとするあたしの右手を掴んで──
覆い被さったあなたの体がわかる。
──だめ。だめ。嫌。
──そう、あたしは、どうしても嫌だった。
覆い被されることが?
いいえ。
口付けられることが?
いいえ。
──嫌なのは、自分。
──だって、あたしは。あたしは。
『痛むぞ』
そう告げると、さらに強く、あなたは肌に口付けて。
ずるりと何かが蠢いて。全身で暴れる熱の中心、首筋、胸元、あちこちへと“蠢き這い寄るもの”が浸透していく。例えようのない違和感。圧倒的な異物感。からだの中に、何かが、首筋を通じて侵入しているのがわかった。血管、骨格、筋繊維、肉体を構成するはずのそういうものとはかけ離れた部分に、それでも確かに自分へ“入る”のがわかる。
悲鳴は出なかった。
あたしは、その時──
「……う、あ、あ、あ、あッ……!」
わからない。
わからない。
這い寄るものが首筋にあって、あたしの中の熱を吸い上げて。抜き取って。
何をされたのか。わからない。薄目を開ける余裕さえなく、あたしは、声を、言葉にできないまま、漏らす。
急速に体の熱が治まっていく。
ぼんやりと拡散しかけていた意識が、戻っていく。
今まで何を考えていたのか、考えかけていたのか、あたしは懸命に振り払う。
──それでも。
──それでも。
──助けを求める声は。
──飛沫の熱を抜き取られても、尚、消えることがなかった。
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