──稼働するのを待ち望んだはずだった。
──ピンカートン特殊調査探偵の証、フェルミ計測機関と呼ばれる碩学機械。
それは、モニカがスラム街を取り仕切る数人の顔役のひとりと接触し、ドイツ結社《イルミナティ》の現地活動に関する情報を幾つか入手した後、情報を整理しながら路地を歩いているさなかのことだった。音が聞こえたのだ。合成音声。
計測反応を告げる合成音声がささやかに響いた、その瞬間、モニカは明確にそれを意識することができなかった。フェルミ計測は社すべての調査探偵にとっての至上命題であり、あらゆる調査任務に優先される非常事態でもある。訓練を終えて社へ正式に所属し、現在へと至るまで、モニカが計測情報を得たことは一度もなかった。
自分の“相棒”であるヘンドリクスは一度だけ経験があるという話を、いつも羨ましく思いながら聞いていたものだった。いつかは自分も、と考えてはいたけれど。
反応するのが遅れる。まさかの状況というやつだ。
ピンカートン探偵社の調査探偵たる者、まさかの状況、万が一の事柄にも即時対応が求められる。故に、モニカは大いに焦りながら確認を行った。
計測機関へと尋ねる。
今の言葉は、自分の聞き間違えだったのか、と。
『イヤ(NO)』
「聞き間違え、では、ないのか?」
『ウム(YES)』
「な、なら、本当に、計測反応があったのか……!」
『ウム(YES)』
いつもは皮肉げに響くのみの計測機関の合成音声の、事実と断じる単語がモニカの意識へと染み渡っていく。過度の興奮を伴って。これで自分も社の最終目的に貢献できるのだとの思いからか、モニカは昂ぶりを押さえることができない。
個人的な予定では実績を積み重ねながら5年後にはフェルミ観測を行い、その発生源を突き止めて信頼度1級から2級の報告書を提出し、上級探偵へと登り詰めるつもりでいたのだ。それが、今、この瞬間、合衆国からも北央帝国からも遠く離れた異境で!
興奮が意識を染め上げる。
落ち着け、とモニカは自分に言い聞かせることすら忘れていた。
故に、故に。
モニカ少年は人気のなくなった街路で、異形の人影を目にしていた事実に自ずと気付くまで、およそ2秒の時間を有した。
──それは“人形”だった。
──鋼で形成された怪物と呼ぶこともできるだろう。巨怪とも。
無機質な、笑う人間の顔を模したかのような仮面に覆われた頭部。
いびつに歪む人影を形成する、無骨な機関機械の四肢。
機関音響かせる火の心臓を稼働させるクロームの胴部。
都市戦闘用自動機関人形。機関兵器の類に詳しい碩学であれば、それが、カダス地方のインガノック・テクノロジーによって生み出されることを予見された机上の存在であると理解できるだろう。自動人形。戦闘機械。都市殲滅型機関式軽車輌。
西暦1906年の欧州には存在しないはずのもの。ただし、公式には、だ。
それに、そもそもからして“ここ”は、欧州──西享という訳でもない。
都市セラニアンの美しい空の下。
路地の影の中で、全長10フィートを優に超す殺戮の機関人形が蠢いていた。
赫く輝く瞳をさまよわせて。
薄く濁る瞳をさまよわせて。
「そ……んな……。化け物……?」
『ウム(YES)』
少年から巨怪までの距離は実に30フィート。
ようやくモニカは状況を把握する。まだ、あの怪物はこちらに気付いていない。陽差しと建築物とが作り出す影の中にあって、機関音と金属の擦れる音を響かせながら、何かを探すかのように、赫の瞳を蠢かせてる。
自分を探しているのか、自分を襲うつもりなのかとモニカは思う。
違う。違う。
あの怪物は、少年のことなど気に留めてもいない──
「なんだ、あれは……。
あんな、“あんなものがいるはずがない”……」
『ウム(YES)』
「じゃあ、何なんだよ、あれは!」
モニカの叫びが怪物に届いたか、どうか。
悲鳴に反応するかのように、一度だけ視線をモニカへと動かした怪物は、やがて、影の中へと溶けるように像を滲ませて、姿を消していた。後に残るのは静寂と、路地裏に投げかけられた建築物の影のみ。
怪物は姿を消したのだ。
けれど少年は、助かったとも、計測反応との関与さえも、思うことができなかった。
──視線が合わさった瞬間。
──モニカは、言いしれぬ恐怖に押しつぶされて。気絶していた。
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