夢──

 夢は誰もが見るものだ。人間の、誰もが。
 眠ることで、ひとは、現実の楔から解き放たれて夢へと羽ばたく。
 もしくは、落ちる。

 中には「夢を見たことがない」と主張する者もあるという。
 けれど、それは誤りだ。
 記憶できない、もしくは、夢の中で得た情報を認識できないだけだ。
 夢見たことを記憶していると自覚している人間でさえ、多くの場合、それはほんの一部であって、夢のすべてを憶えている訳ではない。

 碩学の研究では、人間は、睡眠時間のうち約25%を夢に割いているという。
 子供はもっと多いそうだよ。
 幼児はさらに多いそうだ。
 きみの場合、割合はどうなのだろうね。

 夢は、人間の生に隣合って存在するものだ。
 少なくとも25%は。

 太古より、夢を見ることは特別なものであるとされてきた。
 神々よりの託宣であるとか、精霊の息吹の顕れであるとか、現代ではオカルティズムに類する事柄ではあるけれど、人々はそれに意味を見出した。
 心霊的な、神霊的な啓示。
 さまざまな問題に対する回答、未来の先触れ、行動の指針。
 そういったものが夢には隠されているのだと。

 ある時代には、そう、宗教者、すなわち
 司祭の役割とは夢の内容から意味を見出すものであったとも言う。

「司祭さま?」

 ああ。そうだよ。

「司祭さまって、なんだっけ。
 牧師さまとか、神父さまとか」

 その解釈で間違ってはいない。
 尊ばれる神性の在りようを解釈したり代弁したりする者だ。
 多くの場合は、知識、見識に長けた者が選ばれる。
 現代では、ある種の学問を修めた者がその職に就くようだけれど、碩学とはある面に於いては近似なものの、基本的には、異なるものとして扱われている。中には、遠くカダスの《十碩学》の一席に列せられるほどの者もいると聞くけれど、極めて珍しいね。

「ふうん」

 きみは目にしたことがなかったね。リリィ。
 地下世界では。

「うん……」

 いつか会うこともあるだろう。
 きみには、あまり、必要のないことではあるだろうけれど。

「ん……?」

 いや。いいんだよ。
 きみの司祭はもう決まっているという話だ。

「だれ?」

 僕だ。

「……」

 リリィ。

「…………」

 リリィ。

「い、いいから、もっと、夢のお話、してよ。
 し、司祭さまのお話はいいから……さ……」

 ああ。

「あと、こっち見ないで。
 見過ぎだよ、ちょ、ちょっと近くなってるし」

 ああ。

「見ないで」

 それはできない。

「ちゃんと、ご本を見てっていうの」

 ああ。読む時にはね。

「読んでよう」

 ああ。

 ああ……。そうだった。
 では、夢歩きのことを話そう。
 夢を通じて夢を歩き、あり得る場所、あり得ざる場所をも旅する魔術の奥義。
 人の夢見る物語を旅すると表現する者もある。
 すなわちそれは、幾億の世界への旅。

 無論、オカルティズムの多くは碩学の見出すような現実への探求と結びつくことは少ないとされている。ここで語られる魔術というのは、古代の自然科学、理解、解釈の一種としてのものだと捉えてしまって構わない。
 世界の在り方は人が決める。
 かつてきみが口にした通りに。
 世界は無数にあり、無数こそが世界であるのだから。
 原子(アトム)の意味さえ、現代と古代グリースの昔では異なるものだ。

「むずかしいです」

 夢歩きの記録には枚挙がない。
 古代グリース、北欧、オリエントにかつて君臨した大帝国たち、欧州の伝承にさえ、夢を歩いたと称する人々は数限りない。古代、中世、近代、現代。どの時代にも、形を変えて、もしくは同じ形のままで、人間は夢を紡ぎ、夢を渡り、夢を歩く。
 アフリカ大陸や南北の新大陸に住まう呪術師や精霊対話者たちは驚異だ。現代にあってさえ、彼らは夢を歩くという。

 内容は、先ほど述べた通り。
 さまざまな問題に対する回答、未来の先触れ、行動の指針。

 前世紀、メスメル学は新たな見識の地平を拓いたと言えるだろう。
 メスメルの碩学たちが語る集合無意識説を正しく真実であるとするなら、そういうことも、あるかも知れない。
 意識の接続。
 情報の統合。
 過去から現代へと至る無限に近しい情報の海への接触が、あり得るならば。
 それを、神との対話と信じる者がいたとしても、何の不思議もない。

 けれど。
 けれど。
 問題の回答でもなく。
 未来の予兆でもなく。
 ただ、「他の世界へと渡ったのだ」と口にする者もいた。

「……世界……」

 僕は考える。
 それを口にした者は、あの時のきみと同じ考えへ至ったのだろうかと。

「?」

 きみは言ったね、世界のことを。
 それを僕は誇りに思い、尊く想う。

 だからこそ考える。
 世界とは、たとえば、それを認識する者の数だけあるのだとしたら。
 新たな夢を見るたびに、夢が見知らぬ物語を紡ぐたびに、世界は増えていく。

 それは、眠りに就いて見る夢かも知れない。
 それは、起きている時に脳裏を横切る白昼夢かも知れない。
 それは、時に、意識から生み出され、語られる物語かも知れない。

 銀の鍵はすべてのひとが、すべての意識が有している。
 集合無意識への鍵か。
 更なる、異なる新たな“どこか”への鍵か。
 それはどちらも同じことかも知らない。
 だが、それがもしも“ある”のだとしたら──

 

 もしかしたら。きみの求める“名”の回答も──