──ヘンリー・フォードは迷わない。
 ──たとえ何があろうとも。

 彼は神に祝福されているのだから。
 そして、何よりも、神を愛しているのだから。

 それは彼が常日頃から公言して憚らないことだった。
 彼は自らの自伝の序文にもこう記している。私は神を愛し、であるが故に神は私を愛して下さった、と。彼は自分自身が祝福されていることを疑わない。天才碩学トーマス・アルヴァ=アヴァン・エジソンと出会ったことも、合衆国最大の機関自動車企業フォード社を作り上げたことも、合衆国の重機関工業化を推進することに一命を賭していることも、すべては運命であり祝福であったのだ。
 彼は深くそう信じている。

 幼い頃から機械に触れて育った彼は、碩学ではないがある種の天才ではあった。
 齢15歳にしてカダス式の機関を一目見ただけで分解と再構築を行ったという。機関工学の世界へ進めば一流の碩学となっただろう。しかし彼はそれを選ばなかった。自分よりも遙かに優秀な頭脳を有するエジソン卿と出会ったためだ。
 デトロイトの碩学工場で機械工として働きながら勉学に打ち込んでいた年若い彼は、工場視察に訪れたエジソン卿から何らかの教示を受けたとされている。
 その日より彼は卿を神の導きそのものであると仰ぎ──
 個人的な時間を機関式自動車の設計にのみ費やすことを選んだ。

 フォード社の設立はそれより15年の後のことだった。
 そこでも彼は神という言葉を口にしている。曰く、神より下された“明白な運命”を受け入れることで人類は無限の進歩と発展を得ることができる。と。

 彼の生きる道は神によって照らされている。
 そう、彼は、信じている。

 故に彼は迷わない。
 自分の人生も、行動も、すべては神の意志に他ならない。神の意志に逆らうことを彼は決して選ばないし、彼は神の意志を間違えることもない。少なくとも彼の中では。
 NY消失からの復興と再生を宣言し「すべてを忘れよう」と告げた時も。
 NY消失の重圧に崩れた大統領報道官を“処理”した時にも。
 NY消失の真相に触れたタイムズ記者を“処理”した時にも。
 彼が迷うことはなかった。

 そして、現在。
 1908年。某月。某日。

 女ひとりを葬り去ると決めた時にも、彼は迷うことはなかった。
 合衆国中枢へと張り巡らせた自らの権力を最大限に振るい、CIGによる処理指令を出す時にも、彼は、一切の迷いを見せることはなかった。復興と更なる進歩を約束された合衆国にとって、NY消失についての情報の拡散は障害にしかならない。彼は至極冷静にそう考えたのだ。彼にとって、女、すなわちエリシア・ウェントワースの存在を1ミリ秒とて許すことは、かの悪名高き独裁者リンカーン総統を尊ぶ以上の大罪だった。
 それを、彼は、神の意思であると信じて疑わない。

「では、諸君」


 




 

 

「昨日における我が社の生産能力向上率を尋ねる前に聞いておこう。
 エリシア・ウェントワースは──」

 本日の天気を尋ねるように。
 株価の動向を尋ねるように。
 気軽に。
 何の躊躇いも、なく。

「無事に、死んだかね?」

 重機関都市デトロイト・シティの重高層建築の一基。
 重機関企業フォード社の本社ビル。66階CEO執務室にて。他の社員たちと同じく定時である午前9時に出社した彼が、その日、執務室の机についてから4人の秘書へ最初に告げた言葉がそれだった。
 背後の壁は一面が硝子張りとなっており、デトロイト大機関建設塔の姿が在る。
 彼の姿はまさしく、機械の神に仕える“祭壇の司祭”のそれか。

「無事に、殺したかね?」

 静かな言葉だった。
 当然の言葉だった。
 ヘンリー・フォードは迷わないのだから。

 彼は幸福だった。
 神を愛しているのだから当然だ。迷うことも怯えることもない。
 ただひとつ、もしも不幸なことがあるとすれば──

 

 ──彼の神は、聖書の神ではなく。
 ──機械仕掛けの邪悪な神であったということだ。