「備考欄にも書きましたが、納得いきません」

「そう言われてもな」

 合衆国、機関都市ロスアンジェルス。
 重機関都市としての条件を数年中には満たすと言われるグレーター・ロスアンジェルス、その中心街に建ち並ぶ摩天楼の一角。P探偵社第1支部である10階建ての中型高層建築の一室にて、調査探偵モニカ・ヌーヴェルバーグは、代わり映えしない顔の上司ことジェームズ・マクバーランド上級探偵へいつもの反抗を行っていた。
 モニカの反抗は実にこれで3回目だった。
 昨年、1907年のカダス行き以降、モニカには“反抗”が増えていた。

 何も無闇に反抗しているつもりはない。
 モニカには、自分なりの線引きがあるつもりで、その線を容易く越えるマクバーランド上級探偵や社の上層部にこそ問題があるのだ。少なくともモニカはそう信じている。

 たとえ、マクバーランドが変わらずパイプを吹かしていても。
 たとえ、すぐに名を揶揄されても。
 そんなものはモニカの線引きを越えることはない。
 我慢できる。我慢している。
 男であるのに女性名であることを揶揄されるのは憂鬱きわまりない、けれど、そんなことは我慢できる。もう50回は言われ続けてきたことなのだから。

 個人的な好き嫌いではない。
 少なくともモニカ自身はそう信じている。
 言うなれば、そう、ある種の使命感──

「それが好き嫌いだって言うんだよ。モニカお嬢さん」

「お嬢さんって言わないで下さい」

「ならその長い髪を切ってからにするんだな。お嬢さん。
 おっと、お前の女装潜入はすこぶる効率がいいんだから切ればら仕事が変わるぞ」

「……脅しじゃないですか。冗談言わないで下さい」

「冗談じゃないんだがな。
 本国へ栄転したってのに何度お前は“所感”を書けば気が済むんだ」

「欄があるのですから記入するのは当然です」

「お前の主観は報告に添えるべきではない。
 我々にとっては宜しくない癖だ。直しておくが良いよ、モニカお嬢さん」

 代わり映えしないいつものフレーズだった。
 普段はこれで引き下がってしまう。

 けれども。今回は話が違う。
 火急の事態だった。

 ある重要情報を有した婦人のことだ。
 仮に、ここでは婦人Eとしておこう。
 P探偵社の正式な報告書にもそのように記載されている。正確な情報の保存と伝達こそが人類文明が今後も発展していく上での必要条件であるとされるP探偵社において、匿名の報告書記載というのは褒められたものではない。外部に露出するものでなく、社に保存する情報であれば可能な限り正確な情報を。実名を。それが、社是であったが。
 現在は、火急の事態だったのだ。

 情報提供者にして協力者たる婦人Eは狙われていた。
 誰あろう、合衆国政府そのもに。

「備考欄に書けって仰ったのはあなたです!
 これは見過ごせることじゃないでしょう!
 僕たち、一帯、何のために情報を収集してるんですか!」

「調査、記録、提出のため。
 判断は常に彼ら(ガヴァメント)の仕事だ。こう言ったのも覚えているな?」

「その合衆国がおかしいことをするなら!」

「物事には都合と限度というものがあるんだよ。お嬢さん。
 無論我々も不断の正義は追求しているとも。
 そして、合衆国政府は憲章と国民を守る。必要であれば他国民でさえ」

「だったら!」

「だが、クラーク・ケントって訳じゃない」

「うぇ……」

 上級探偵が“たとえ”に持ち出したのは今世紀に入ってから生み出され、子供たちに人気を博しているナショナル・アライド社のコミック・ヒーローだった。クラーク・ケント。その正体こそは無限の力を伴って正義を行うヒーロー、鉄の男、スーパーマン。きっと、7歳になるという彼の息子が読み親しんでいるのだろう。上司がコミックやカートゥーンの類に親しむ類の人物ではないと思っていたモニカは意表を突かれてしまう。言葉に詰まる。
 それぐらいにおかしな話をしているんだ、お前は。モニカ。
 そういう意味。だろうか。

 けれどもモニカには我慢ならない。
 婦人の命は危険に晒されている。
 今、この瞬間も。

 婦人Eの“後援者”という人物の静かな根回しによって、昨年末における旧・機関都市ニューヨークの旅路は政府側の障害から守られていたが、合衆国全土はおろか全世界にて影響力を有する合衆国の“大物”が、その広い魔手を伸ばして、封鎖された旧NYを旅したという婦人Eの存在に気付いてしまった。
 それが暗雲をもたらした。
 本来であれば、旧NYの“現在”の情報をP探偵社は得るはずだった。
 件の、E婦人の“手記”を受け取ることによって。

 複数の手段を講じて複写物の入手を試みたが──
 ことごとく。失敗した。
 件の“大物”が邪魔をしたのだ。

 そして、あろうことか“大物”は次なる行動に出た。
 1907年12月某日に旧NYを後にした婦人Eの目撃情報は、廃墟都市を監視する合衆国陸軍のセント・メアリーズ封鎖基地の観測記録から削除されたはずだった。すなわち“後援者”の手によって。しかし“大物”は静かな圧力をものともせずにはね除け、記録を復元。合衆国中枢に張り巡らせた自らの手駒を用い、婦人Eに対する極秘の手配命令をCIGに発令させていた。
 すなわち。
 婦人Eの確保。もしくは──

「みすみす渡すんですか。彼女を。
 本部は本件の調査人員規模を縮小したんですよ、今日」

「お嬢さんがレディに入れ込むのはわかるがな。美人だし。
 ただ、我々は幸運にも本件に関して彼女と直接の接触を持った訳じゃない。
 彼女が社に調査依頼を持ち込んだのは、昨年の“旅”の以前だったろう?」

「そういうことじゃありません!
 だって、CIGが動いてるんですよ!」

「ああ」

「連中のやり口は知ってるでしょう!
 不断の正義なんて、彼らには関係ないんだ」

「奴らには奴らのやり方がある。俺たちとは別のな。
 ドイツ帝国の《黒騎士団》の残党との接触が成功すれば連中の鼻も明かせるさ。
 《大協会》のお歴々が必要量の中心鉱石を確保するのも時間の問題だ。
 そろそろ、お前も大人になる頃だぞ。モニカお嬢さん。
 世界は白と黒じゃない。
 お前は、真に注視すべきことが何か、セラニアンで見てきたはずだったな」

「話を変えないで下さい」

「同じだよ。お嬢さん」

「女性を!
 殺すことがですか!」

「連中はまだ婦人Eの居場所までは掴んではいない。
 まあ、我々だって手をこまねいている訳じゃない。
 CIGとは接触を試みてるさ。ただ、諸々の立場が邪魔をするだけだ。
 いいか。これは敏感な問題だ。旧NYの情報は牽制になる、つまり──」

 続く言葉は聞こえなかった。
 ミスタ・マクバーランドが言葉を切った訳ではない。
 彼の言葉は続いている。
 お決まりの、P探偵社の社是と存在意義、合衆国への貢献云々といった話だろう。
 勤務態度への非難もあるだろう。仕事、任務の成果自体は昨年のセラニアンでの一件以来常に完璧を心がけているモニカを責めるなら、それ以外にないのだろうから。
 言葉は続いている。
 非難と、説得。説明も。

 

 ──ただ、モニカにとっては意味を成さない言葉だった。
 ──人が殺されようとしている、今には。