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──瞬間。
──あたしの目は覚めていた。ぱちり。
瞼開けると、すうっと、視界に1輛だけの地下鉄の様子が広がって。
あたしの部屋。
あたしだけのために用意された部屋。
いまは、あたしと、彼の部屋。
「んぅ……」
結構たくさん眠った感じがあって、声はちょっとくぐもってる。
変な声出ちゃった。
ふかふかのベッドの中で身じろぎをして、うーんと、横になったまま両腕を頭の上にあげて、足の爪先をぴんと伸ばして。体、伸ばす。お行儀悪い。でもAが何も言ってこないから、今はいいよね。
体がちょっとぐったりするみたいな感じがある。
本当、たくさん眠った実感があって。
眠った──
あれ。
あたし、いつのまにか、眠ってた。
うん。眠っていたよ。
うん。夢を見てたよ。
幾つかの夢を渡って、歩いてって言うよりも落ちて、あたしはあたしの知らない場所や時間を見たんだ。見たんだと思う。見たんだよ、ね。
あんまり自信がないよ。
だって、本当に、あたしが夢を渡ったのかわからない。
今度のは……。
何も、持って帰ったものがなかったね。
寝起きだからまだ夢の内容ははっきり頭の中にある。
視界と頭の中がはっきりしていくうちに、どんどん、ほどけて、ばらばらになってしまいそうになるけど、ちょっと、頑張る。
忘れない。
忘れないんだ。
あたしは忘れない。
忘れることはないって、決めた。
忘れることなんてできない。
ぜんぶ。
すべて。
あたしは欲張りなリリィ・ザ・ストレンジャーで、うん、悪い魔女だから、ぜんぶ、忘れたくない。覚えていたいよ。
消えてしまった、あのひとの名前だって思い出してみせるよ。
きっと、いつか。
「うん」
どうしてかな。
そうするのが当然のような気がして、あたしは胸のあたりを押さえてた。
この胸の中に、大切なものがあるような……。
なぜ?
あのひとのことを考えたから?
あのひと。
あたしのかたちに影を投げ掛けたひと。
あたしを生んでくれたひと。
お母さんとか、お姉さんとか、そういう風に呼んでもいいはずの。
名前、思い出せない、誰か──
「なまえ……」
「リリィ」耳元で。
「ひゃあ」
飛び起きる!
ブランケットをはね除けて、囁きかけられてくすぐったさがじんじん残る右耳を押さえながらあたしは百科事典にあった“りす”みたいにとびあがって、上半身を起こして両膝を揃えた姿勢でベッドに着地。
耳。耳元。くすぐったい。
な、なに!?
「なにするの!?」
「起床して暫く時間が過ぎていたからね」
「ふつうに起こして」
「それが、きみの望みであるなら」
「望んでるよう」
「どうかな」
何が“どうかな”なの……?
はふ、と息を吐きながらベッドから降りる。
床、カーペットの感触。ちょっと歩くと絨毯の感触も。朝に感じる、いつもの地下鉄の“部屋”の感覚。Aがすぐさまスリッパを履かせてくれるのも同じ。
同じ。
同じだね。
自分でできるよって言いながら、洗面台の冷たい水で顔を洗うのも。
いつもと同じ。
現実感っていうのだっけ。
ああ、もう、夢の中じゃないんだっていう風に頭の中が理解していく。
列車の中。
ここは夢の中じゃ、ないよね。
夢の中ならAがちゃんといつもの姿でいるのはおかしいもの。
あたしが仔猫でもない。
最後に見た夢だと、あたし、仔猫じゃなかったけどさ。
「……いろんな夢を見たね」
着替えをしながら。
正確には、彼に着替えさせてもらいながら、あたしはぽつぽつ言った。
幾つもの、夢。
幾つもの、誰かの物語。
「いろんな場所を見たよ」
「ああ」
「いろんなひとを見たね」
「ああ」
「怖いものも、見た気がする」
「ああ」
「……あたしは、何か、できたのかな。
ほら。きみはおぼえてる?
あの子……お爺さんみたいな、男の子みたいな、不思議な声。あの子の声が言っていたよね。あたしがそうされたみたいに、あたしにも何かできることがあるのかも、って。
あたし、できたのかな」
「リリィ」優しい声。
あたしはちょっと俯いて──
「できたなら嬉しいな。
その“何か”っていうの、あたしにも」
「リリィ」
「うん」
「……リリィ」
「うん?」
──ん。二回、名前呼んだ?
──なんで?
「リリィ。きみが見たそれは、夢だ」
「うん。夢だよ?」
「一定の効果はあったということかも知れないが……。
すまない。リリィ。それは、僕の導いた夢であって、現実ではない」
「?」
何を言ってるんだろう。Aってば。
あたしの胸元でボタンを留める手さえ止めて、あたしの顔を見つめてる。
いつもと変わらない顔色、だけど、なんだか瞳の奥に見え隠れする感情の色がちょっと変。変、だ。どうしたんだろ。ちょっと心配してる、みたいな感じ。
変な感じ。
不思議に思ってあたしは彼の瞳をもっと覗き込む。
すると、あ。また変な感じ。
A、ちょっと躊躇するような動作と気配があった。
具体的に言うと──
後ずさった。よね。A。
1インチもないくらいだけど。
半インチくらい?
「……A?」
「何だい。リリィ」
「どしたの」
「どうもしないよ。リリィ・ザ・ストレンジャー」
何でフルネームなのさ。
「どしたの」
「どうもしない」
「A?」
「……」
「あれ。何、何で黙っちゃうのさ。
A? 車掌さん? ちゃんと、こっちを見てってば」
「……」
「え」
──目。瞳、今、揺れた?
「……」あ、戻った。
「A。いま、ちょっと、なに」
──瞳。揺れたよね。
──すごく変な感じだった。変な感じだったよ、今のは。
いつもは、あたしのことを見るなって言っても見てるのに。
まるで目を逸らすのを我慢したみたいに、瞳、揺れたような気がする。
別に、根拠があるようなことは何もないんだけど、でも、なんだろ。この変な感じ。もやもやする。何か隠されてる、っていう確信みたいなものがあたしの胸の中にある。
あたしは、ボタンを留める動作を止めたままであたしの胸元に手を配置したままのAの手を、不意に、握る。
ぎゅっ。
握った。勝った。
「リリィ。手が」
「離さない」ぎゅ。
「リリィ」
「ちゃんと言ってくれるまで、離さないかもしれないよ」ぎゅう。
「何も言うことはないよ」
「嘘」ぎゅうう。
「いや」
「あたしが眠ってる間に、なにか、した?
あたしが夢を渡ったって言ったのに、きみ、何か変なこと言ったよね」ぎゅう。
「……」
「一定の効果ってなにさ」キッと睨んで。
「いや」
「言って」顔、近付けて。
「……」
「言わないと嫌いになるよ。
もう、キスも、えっと、あれも、これも、ぜんぶ禁止だよ」ほんとだよ。
「きみが」
「望んじゃうよ」彼が言う前に言う。
「……」
「あ、ほら、ちょっと嫌いになってきたかも」嘘。
「睡眠学習を行った。
僕という個体は睡眠を必要とせず、それを利用する行動を採ったんだ。
きみが眠っている間も本の内容を読み上げ、無意識状態のきみの頭脳へ、情報を刷り込む。意識せずとも学習を行わせる、という、一部のメスメル碩学の間で試験的に取り扱われている学説であり、未だ実証されたものとは言い難いが──」
「???」
──スイミンガクシュウ?
──なに。それ??
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