簸川朱音は謎の多い女性だった。
 ──といっても、出身を他人によく知られていないという、都会であれば気にすることもないような謎だ。
 彼女がとうかんもりの人々に知られるようになったのは、健昭の妻となってからであり、その頃からすでに、外界へ心を閉ざしていた──らしい。
 らしい、というのは、健昭の妻となってからも、彼女が他人と接する機会がほとんどなかったからである。日がな家に閉じこもり、訪ねてくる者を相手にしようともしない。彼女がそういうものだと人々が認識した時には、健昭と朱音は夫婦であり、五樹という息子も生まれていた。
 簸川の本家が、この町でそれなりに名の知れた家でなければ、この一家はもっと迫害されていたかもしれない。幸い、簸川家筋の人間である健昭は、人付き合いに如才ないタイプだった。
 そうして、彼らはとうかんもりに──朱音をのぞいて──受け入れられていったのだ。
(ワケありの一家……ってことね)
 リカルドがこの家族に同情的に見えるのも、そんな背景があるからかもしれない。手入れの行き届いていない木造の家を見上げて、清香はそう思った。
「じゃあ、さっきの通りに」
 リカルドがもう一度、念を押す。清香が頷いたところで呼び鈴に手を伸ばした。
 ──と。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから!」
 玄関がいきおい良く開けられ、樹里が姿をあらわした。家の中に何やら呼びかけて、こちらに視線を向ける。
 笑顔が、一瞬で警戒にかわった。
 後ろ手に玄関を閉め、今度はリカルドの姿に困惑した表情を見せる。
「こんにちは、樹里さん」
「……こんにちは」
 返事をしつつ、視線は清香から離れない。
「あの、うちに何か用でも?」
「あ、いえ……」
 樹里と清香の間に流れる、微妙な緊張感を感じ取りながらも、リカルドは打ち合わせた通りの言い訳をしようと口を開きかける。
「こちらは──」
 そこへ、更なる訪問者があらわれた。
「こんちはー、リカちゃん、樹里ちゃん!」
 キキーッ、とブレーキの軋む音。無骨で頑丈そうな造りの自転車にまたがった女性は、清香の姿を見つけると、悪びれない様子で笑った。
「──あっ、お客さんですか? すいません、騒がしくしちゃって」
「あ、いえいえ……」
 清香が手を振る。紹介のタイミングを外されて、リカルドはわざとらしく咳払いした。
 もっとも、紹介の必用はすぐになくなった。
「あっ、ひょっとして、県警から来た刑事さんってあなたですか?」
「え……」
「む……」
 清香とリカルドが揃って口をつぐむ。
「刑事さん……?」
 樹里が疑わしそうにそれを見た。
「警察に変なイタズラ電話があって、それを調べに来たって──あれ?」
 苦笑いする清香と、天を仰いで額に手を当てるリカルドの様子に、彼女はちょっと言葉をきる。
「……夏生さん、その話、どこから?」
「丸山さんだけど。なに、もしかするとまずかった……のかな?」
 夏生と呼ばれた女性が、困ったような顔をして、ぽりぽりと頭を掻く。ひとり会話から取り残された樹里が、じれたように口をはさんだ。
「あの、電話って、何ですか。県警の刑事さんが、うちに何の用なんです?」
 県警の刑事さん、というところに力を込める。
「うーん……」
 リカルドはその場を取り繕う言い訳をさがして押し黙った。が、それを察した夏生が、その必用のないことを告げた。
「あの、もしかして、おじさん家に内緒にしておこうと思ってたんなら、ごめん。でも、すぐに広まると思うよ、噂……」
「……どうしてですか?」
「だって、役所とか、派出所とか……駅にまで、その電話があったんだって」
「なんですって!?」
 唖然とするリカルド。夏生は申し訳なさそうに続けた。
「丸山さんが、一応この話は内密に……ってことにしたけど、矢沢さんたちが聞いてたから、どうなるかわかったもんじゃないでしょ。変な伝わりかたするぐらいなら、わたしが説明しておこうかなって、訪ねてきたんだけど……」
「なるほど……電話のあったのは、今朝ですか?」
「うん、十時ぐらい」
 つまり、リカルドが清香と待ち合わせている間に事件は進展していたわけだ。
「……だから、何なんですか、その電話って!」
 樹里がむくれる。リカルドは清香に目線で合図してきた。これ以上、ごまかしても益はない……ということだろう。清香も黙ってうなずいた。
「実はですね、樹里さん……」
 できるだけ、当たり障りのない表現で、リカルドが事の顛末を説明する。それを聞くうち、眼を丸くしていた樹里の顔がだんだん紅潮してきた。
「……それで、うちに……?」
「ええ、まあ……」
「その電話が本物かも知れないって……疑ってるんですね?」
「いや、そんなことは……」
 リカルドは言いよどんだが、樹里は容赦しなかった。キッと清香をいちべつする。
「そうじゃなければ、どうして県警の刑事さんが訪ねてきたりするんですか!」
「それは……」
 樹里の迫力に、リカルドは二の句が継げない。夏生も居心地悪そうに見ているだけだ。清香は仕方なく、話に割り込んだ。