商店のならぶ中心街こそ賑やかに見えるが、そこを少しでも外れれば、とうかんもりは避暑地と呼ぶにも未整備な景観を見せはじめる。
 リカルドの案内で彼のつとめる派出所まで歩いた清香は、存分にハイキングを楽しんだ気分だった。
「……は、はーはーはー……こりゃ、きついわねえ……ひー」
「捜査は足が命じゃないんですか、清香さん?」
 ぜいぜいと身体を折って息をつく清香を、こちらはまるで平気な顔をしたリカルドが見下ろしている。
「……い、いーのよ……あたしは、頭脳労働と……おとり捜査が専門なんだから……はー……」
「そういうものなんですか?」
 リカルドは怪訝そうな顔をしたが、刑事課の仕事にそれほど詳しいわけでもなかったので、特に聞き返しはしなかった。
「簸川さんの家まで、もう少しあります……少し、休んでいきませんか」
「お、お願い……うぶっ、吐きそ……」
「お茶をいれますよ」
 派出所は、坂の中腹──どこを向いても野原ばかりという、へんぴな場所に建っていた。手入れはされているようで、真新しいペンキの塗り後なども見られたが、建物そのものはかなりの年代物だ。台風でもきたら、屋根ごとはがれるんじゃないだろうか……と、清香は本気で心配した。
 目の前を路面電車の線路が通っているが、これは廃線になって久しいらしい。ここが鉱山町として賑わっていた時代の名残なのだそうだ。
「適当に座ってください」
 中もまた、外観に負けず古くさい。重そうなスチール製の棚や机に、変色した紙を束ねた書類が詰め込んである。ダルマ型のストーブの上で、金色のやかんが湯気をたてていた。
 清香は、あちこち塗料がはげてささくれ立った丸椅子に腰かけた。
「誰もいないの?」
「ええ。丸山さんは……巡回のようですね」
「不用心じゃない?」
 ストーブはつけっぱなし、やかんはかけっぱなし、おまけに入り口には錆の浮かんだ南京錠ひとつ。火事もこわいが、その気になれば小学生でも忍び込めそうなありさまだ。
「前から言ってるんですけどね……丸山さんは、泥棒が入ったって盗むもんなんてないから、と。ついでに火事でも起これば、このボロ屋も建て直してもらえるかもしれないって」
 リカルドが笑いながら説明する。医者の不養生というやつだ。警察が案外不用心なのは、清香もその身で良く知っていた。
「どうぞ、お茶です」
「ん、ありがと。……なるほど、そのやかんがあれば、外から帰ってきて、すぐに熱いお茶が呑めるわけね」
「そういうことです」
 ストーブの上に戻されたやかんが、小気味いい金属音をたてた。
 雰囲気のせいか、熱いお茶がおいしい。人心地ついたところで、リカルドが切り出した。
「簸川さんの家に行って、どうします?」
「どう……って?」
「清香さんの紹介ですよ。本庁から来た刑事さんだなんて言ったら、あちらも緊張すると思います」
 やんわりとした口調だが、そこには簸川家の人間にあまり波風を立てたくないという、彼なりの気遣いが見て取れた。確かにいまの状況で、「朱音さんをあなた達の誰かが殺したかもしれないと疑っています」などと説明はできない。
 なるほど、派出所に寄ったのは、この話をしておきたかったからか、と清香は得心した。
「……じゃあ、どうするの?」
 リカルドは眉根を寄せた。そうすると、端正な顔がますます日本人にはない深みを見せる。
「研修に来ている新人さん……というのは、どうですか? 町を案内して廻っているところだと説明して……」
「うーん、そうねえ……」
 そうするとあたしは、研修に来た町を夜中に素っ裸で歩いていたヘンタイになるわけだ──と、清香は脳裏で想像した。
 県警から来たヘンタイ刑事と、新人ヘンタイ女性警察官……どっちがまともに相手をしてもらえるだろう。
「何かまずいですか?」
 考え込んでしまった清香を、リカルドが覗き込む。彼には昨夜の顛末を説明していなかった。というより、説明できなかった。
「……わかった、まかせる」
 結局、清香はリカルドの顔をたてておくことにした。昨日出会った五樹や樹里がどう反応するかは、考えないでおこう。
(すまん、リカルドくん。でも、もし恥をかくときは、あたしも一緒よ)
 それが誰のせいかは無視して、清香は心の中でリカルドに謝っておいた。