「恋とは何か、かい」

「ええ」

















 

「それはまた、難しい質問をするね。僕のリザ」

「そうかしら」

 僅かに首を傾げて──
 リザ・フォースは己の主人からそっと距離を離す。
 質問を口に浮かべた時だけは、自分の体を彼の胸元へ押しつけるほどに接近して、愛の言葉を囁く恋人のように耳元に唇を寄せて。首を傾げながら距離を取る。答えるまでは近づかないわと態度で示しながら。
 やれやれと僅かに困った表情を浮かべる主人を一度だけ見つめて。
 リザは、視線さえ彼から外してみせる。
 存在をようやく表に出すことができた部屋の窓へと。

 青空が在った。
 窓の向こう、解放された砂漠都市ヴァルーシアの蒼天は今日も透き通るような青。
 どこまでも、どこまでも広がって。
 まるで果てなどないと言うかの如く、静かにそこに在る。

 見晴らしのよくなった部屋の中で遠慮がちに宙に漂うのは埃。掃除を怠っていた訳ではない。リザが、リザ・フォースがその気になれば、黒の王を構成するアルソフォカス顕現体と星々の深淵の彼方に繋がるディフの扉より採取された暗黒流動によって形成される最上位のショゴス型疑似肢が、たちまちのうちに部屋の隅々を滅菌消毒してみせる。
 そこまで本気にならずとも、黒の肢を僅かに伸ばせば部屋の掃除など児戯に等しく。
 だから、この埃は、彼女の怠慢を示すものではなくて。

 転居のために荷物を纏めた。
 そのためだ。

 主人の脳髄そのものであるところの知識の僅かな一部を成す書斎から溢れ出た、ごくごく一部の、とはいえきわめて多量の本の山。触れることを避けていたそれを、今朝、纏めて運び出した。その際に、本からこぼれ落ちた幾らかの埃が、こうして宙に漂い、窓から差し込む中天の陽に照らされて。
 ああ、宙で、それらはきらきらと輝くかのよう。

 転居は主人の思いつきだ、この都市を訪れたのと同じように。
 むしろ、主人にとって、思いつきの類でないことが存在するかどうか怪しいと言える。彼は気まぐれだから。神のように。ひとのように。思い立ったことを、彼は、すぐにやってしまう。
 彼はおよそ万能であるかの如き男だから、あらゆることを成すだろう。
 気まぐれに。戯れに。
 それを、愚か、と言い捨ててみせる人間は多くない。
 リザは、言うけれど。

 ──次は。どこへ行くのかしらね。
 ──無名大陸? それとも、見慣れた灰色の空の下に戻る?

 次はどこへ赴くのか、リザは尋ねていない。
 何をするためなのか、リザは尋ねていない。
 意味がないから。
 彼が行く場所が、自分の行く場所。
 である以上はどこへ行こうとも同じこと。すべて、すべて同じ。

 それでも。
 それでも。

 ──心残りがない、訳でも、ないのよ。レオ。
 ──もしもこの身に心があるなら。

「……私の質問には答えてくれないのかしら」

「すべて答えるとも。僕が、リザ、きみの言葉を裏切ったことがあるかい?」

「あるわ」

「僕が、リザ、きみの言葉を裏切ったことがあるかい?」

「あるわ」

「おや……。おかしいな……」

 主人は眉根を寄せて、呟いて。
 自分の聴覚に異常が発生したのかと、耳をトントンと二度指で軽く叩く。
 機関機械の調子を調べる碩学、もしくは、心ここにあらず茫洋とタイプライターに触れる誰かのように。二度。軽く叩いて。その癖、視線は、リザから反らさずに。
 自覚がないのだろう。
 リザの言葉を裏切ったことがあるかどうか。

 本気で言っているのだから、大したものね、とリザは溜息ひとつ。
 観念して1歩だけ主人との距離を縮める。

 この砂漠都市にとっての異邦たる西享での記憶の数々を思い出しながら。
 オデッサで。マルセイユで。ベラルーシで。
 いずれ改めてこれらのことは追求しておこうと決めつつ、リザは主人にもう1歩近づいてみせる。手を。右手を伸ばして。彼の、体温の感じられない頬に触れながら。

「いいわ。なら、その話は改めて」

「改めるのかい?」

「あなたが答えられないなら、別の問いをするわ。
 あの子。あの碧緑の瞳の子は、どうするのかしら。ね、レオ」

「ああ。確かに、大いに興味深いことではあるね」

「調べる?」

「いいや。それは無粋というものだよ」

 主人は穏やかに告げて。
 リザの頬に、右手で触れながら──

「あの子の願いの果ては、彼女自身だけが辿り着くべきものだ」



[Valusia of shine white -what a beautiful hopes-] Liar-soft 26th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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