※このウェブノベルには音声パートが含まれます。ご試聴いただく際にはご注意ください。

















 ──それは、砂漠の空を覆う白色の仮面が消え去った後のこと。
 ──それは、解放された砂漠都市でのこと。

















 黒の広間とかつて呼ばれた場所がある。
以前に比べて排煙の量が減って機関の稼働する重低音も薄まったように思える都市機関区の一角、都市の東門広場あたりから徒歩で行くことのできる距離にある館の中、もっと以前にはギルドの依頼受け付け窓口があった場所。幾つかのタイプライターの音が軽やかに響いて、何か、蓄音機で聞いた異邦の管弦楽器のように思えないこともない。
旋律を奏でている訳ではないのに、何故だろう。
気持ちのせいだろうか。

 かつての黒の広間。
かつてのギルド奥。
異邦たる北央帝国とこの砂漠都市の正統な共同組織である図書館連盟事務所にて。

 自分以外の事務机から響いてくるタイプライターの音に耳を傾けて。
誰はばかることなく町娘風の服の姿で。かつては杖剣を握っていた指先で、ぽつぽつと右手の人差し指で自分のタイプを弄って。紫色の髪を左手の指先で弄りながら、アナは、考え事をしていた。
考えていた。ひとりの少女のことを。
少し前、スハイルの果物市で買い物をしていた時に出会った、ナナイの連れていた異形種の少女。アスルのいた機関清掃屋の隣の食堂で働いていた子。

 名前は、確か、そう。
可愛らしい響き。

 ──名前は、憶えてる。忘れたりしない。
──碧緑の瞳が綺麗な子。ミミル。

「やあ、姉さん。調子はどう? タイプは慣れた?」

「んー」

「資料部は人手が足りなくてね。またザールにも来て貰おうかと思うんだ」

「んー」

「聞いてる、姉さん?」

「んー」

 自分と同じ色の髪。同じ色の瞳。
最愛の弟が地下の資料部から顔を見せに来てくれたというのに、アナは考え事をしたままで。同じ建物でお仕事していても顔が見れないのでは意味がないと不満に頬を膨らませるアナを気遣って、日に何度もこうして顔を見せにきてくれる弟を放って、タイプを指先でつついたままで。
迷宮に潜っていた頃には考えられないような鈍い反応。
気持ちのせいだろうか。

 同僚の、アナと同じ年頃の娘たちがちらちらと弟のほうを見ていて。
普段なら自慢とか嫉妬とかそういう余計な感情が悪戯心を基点に疼いてしまうのに、今はそれもない。鈍い反応。迷宮ではない場所、命のやりとりをしない場所で得たこの新しい「仲間」たちはアナにとってはとても大切で、その視線や言葉は何より嬉しくて、楽しいものであるのに。鈍い反応。
心地よく感じるタイプライターの金属音の中で、ひたすらにアナは考える。

 あの少女が、ミミルが、自分へと述べた言葉がどうしても胸に残って。
果物市で言葉を交わした後のこと。別れ際に、あの子が言った言葉が、耳から、胸の奥から、離れてくれない。

 ──何故?
──何故って、そんなの。決まってる。

 なぜなら、それは、きっとこの胸の中にもあって。
なぜなら、それは、きっと誰もがいつかは携えて。
何より強い想いのひとつであるはずだから。

「姉さん。ね、姉さんってば、仕事中にそんなにぼうっとして」

「ね。カシム」

「事務長さんが優しいからって甘えすぎはいけないよ……え、な。なに?」

「恋って、どうしたらいいのかな」

「え」

「ね」

「……どうしたらいいかな、って、何……」

 最愛の弟が、ぴたりと動作を止めてしまう。
一方のアナはうんそうよねとひとり納得した風で、タイプライターの群れが奏でる音の中で、ひとり、腕を組むばかり。考えて。考えて。

 ──そう。そうだよ。
──恋ってさ。どうしたらいいんだろうね。カシム。

 

 





[Valusia of shine white -what a beautiful hopes-] Liar-soft 26th by Hikaru Sakurai / Ryuko Oishi.
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