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<帝都天狗巷談・五>
文/海原望
 その日の黒羽伽藍は苛立っていた。

 帝都で起きる物騒なよしなしごとを、矢鱈に天狗───すなわち自分のせいにされることには、程々慣れてきた。実際いくつかは伽藍の仕業である。
 しかし慣れたからといって仙人のように飄然と許容できるかというと別の話だ。

 先ずは、人々の間に噂される天狗の想像図が気に食わない。
 身の丈三米、赤黒い醜い顔、太く長い鼻、剛毛、獣じみた体臭。あまりにかけ離れた像に加え、最近では、肩の後ろの黒子から青い膿を噴く、などという完全に根拠の不明な噂も出回っている。
 そんな無様な生き物が「天狗」とされ、婦女を犯して殺したり長屋に火点けして煽ったりといった大事件から、ある木によく首くくりが下がるだの川面に大量の魚が浮かんだだのといった不可解な現象の犯人として、無闇に恐れられ憎まれているのだ。
 心の整理が追いつかぬ出来事は皆天狗の仕業にしてしまえ、という人の意志が透けて見える。何か天狗という概念がごみ捨て場のように思えて、伽藍にとってはそれが不愉快だった。

 この晴らしようのない容疑について、無気力に看過できる日もあれば、むしろ一興として捉え直せる日もあるのだが、とにかくこの日の伽藍は虫の居所が悪かった。
 彼の苛立ちは、さる男爵令嬢が雪降る中庭で天狗に誘拐された、という新聞記事を目にした際に頂点を迎えたのである。




「ぎゃあああ! な、なんだお前は!?」

 男は空中で手足をばたつかせた。
 中庭の雪の上に刻まれた男の足跡が、伽藍によって空中に浚われたせいで途切れている。暴れる男の足から落ちた靴がその上に転がり、男爵令嬢が拐かされた日の再現となる。
 たちまちのうちにその光景が遠ざかっていく。落ちれば助からないほどの高みへ、帰路の見当もつかない遠方へと、街の灯りが糸を引くほどの速度で運ばれていく。
 男は全身を使って暴れたが、伽藍の強靱な羽根は力強く風を孕んで淡々と飛び続けた。

「お、お前は、まさか───」

「そうとも、天狗だ。お前の許嫁であった令嬢を害した犯人───ということになっているな」

「な───」

 天から降る静かな声に男が凍りつき、暴れる手足がこわばったのは、愛する許嫁の仇に出会った憤りのためか。
 それとも、罪を擦り付けた妖怪からの報復を想起し、恐怖で四肢が動かなくなったためか。

「だがな、吾輩、心当たりがないのだ。何の痕跡も残さずに、雪の上に立つ女をかっ浚うなどというのは、なるほど、確かにこの帝都で吾輩にしかできん業ではあるが───」

「ひい!」

 掴んだ肩にぐっと力を込めれば、男は恐慌の声を漏らして身悶えた。
 目眩するような速度で飛行する影から、ぱたぱたと雪上に落ちるものがある。男が失禁したのだ。
 尿の臭いに、伽藍は興を削がれて眉を潜めた。もう数時間は空中でいたぶってやるつもりだったが、臭いものを抱えて延々飛び続ける趣味などない。早々に追いつめることにする。

「───おい、この人殺し。許嫁殺し。このまま逃げ仰せると思ったか。いくらなんでもそりゃ無理だ。
 いかに警察が盆暗だとて、天狗の仕業で片づける前に、その瞬間を見ていたという女中の証言を疑うのが筋だろうよ。
 手に令嬢の靴を履いて四つん這いで歩き、適当なところで靴を放り出して『天狗にお嬢様がさらわれた!』と叫び、目撃者として偽りを並び立てる───こんな子供だましで一日稼いだだけでも儲けものだな。
 女中が真相を吐いて、貴様の差し金であることが判明するのも時間の問題だ。どこで殺してどこに隠したかは知らんが、令嬢殺害の痕跡なり死体なりもすぐに見つけられるだろうさ」

 言い終わるか終わらないかのうちに、男の乱れに乱れた悲鳴が響きわたった。
 耳を腐らせるような泣き濡れた自白、懺悔、命乞い。それだけでも充分に鬱陶しいのに、尿もびしゃびしゃと迸り続けて止む気配がない。
 結局想定の一割も気を晴らすことができないまま、伽藍は男を路上にうち捨てた。腰をしたたかに打ったのと、尿臭い風体のまま帰り道もわからないという状況が、かろうじて男に与えた打撃といえる。

(冤罪を被るも業腹、晴らすも空虚か。全くもって無為な時間を過ごしたな)

 ふわあと欠伸をひとつ、そのまま塒に帰ろうと空中で方向を転換した、その瞬間だった。

「───天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」

 うんざりするほど聞き慣れた音節が耳に飛び込んできた。

「またしても天狗が出たのか。今度は何だ? 人殺しか、拐かしか、火点けか───」

(ハ……勝手にしろ。せいぜい吾輩のせいにすればいい)

 最早苛立つ気力さえない伽藍は、交わされる声に背を向けたまま飛び去ろうとする、が。

「立ち小便……いや、飛び小便じゃあ!」

「……」

 予想を盛大に裏切る罪状に、ぴたりと動きを止めた。

「飛び小便だと? 何で天狗がそんな───」

「しかし、これを見ろ。雪の上に足跡もないのに、用を足した痕跡が」

「おお、確かにこりゃ小便じゃ。空中から急に尿が降って湧いたような───」

「こんなことができるのは天狗しかおらんな」

「天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」

「おのれ天狗め、女を犯し、男をとって食うだけではなく、小便までまき散らすか!」

「蝉のような天狗じゃな!」

(…………)

 このまま飛び去っても負け、とって返して勝手な人間どもをぶちのめしたところで負けだろう。さて、どちらの負けに甘んじたものか───
 馬鹿馬鹿しくも深刻な悩みに身を裂かれながら、帝都を脅かす天狗は渋面で空中に漂い続けるしかなかった。

<帝都天狗巷談・五 了>

───次回、新編(筆者:禾刀郷)、10/26より「Game-Style」様HPにて連載予定。

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