都市の影には何かが潜む──

それは想いであったり、願いであったり、残酷な意思であったり、時には文明に取り残された妖物魔物であることもある。

私は、そんな影に潜むものの一員である。

私は、影人間。

名前はない。

ただ、ただ、主命を受諾して行動するのみの存在であり、《結社》の作り出した《回路》技術の副産物であり、一種の合成人間であり、無数に在る影人間のうちの1体にすぎない儚い存在だ。


である訳、だが。


下層階級の人間たち以上に完全な“歯車”として機能する私にも、オフの日というものがある。オフ。休暇。休み。鋭気を養うためのささやかな時間。完全無欠にして20世紀初頭の欧州の闇を統べる組織たる《結社》幹部のいずれも、そのことには気付くまい。

我々にもオフがあるのだ。

具体的に言うと──



こうだ!

ロンドンといえばパブ。パブといえばロンドン。機関酒場(エンジン・パブ)で疲れを癒す労働者は、なにも純然たる生物としての人間だけではない。私もそうだ。

パブの空気は最高だ。

顔見知りの者たちが笑いあい、ビールを酌み交わし、音楽を楽しむ。

料金前払い(厳密には、酒や料理を注文するたび、もしくは運ばれるたびに払うのだ)というのがまた良い。帰ろうと思えばサッと席を立つだけ。煩わしいことなど一切ない。


さてと。

今日は《結社》幹部のとあるお方の防弾器具としての役目を果たした私は、別段痛みなどないのだけれどもやはりそれなりに消耗はするのであって、補充が必要だ。鋭気の。

というわけでお姉さん、ギネスひとつ!


「はーい」



くー、これこれ!

労働の後のギネスビール最高!

今日はアイルランド系の──アイリッシュ・パブにお邪魔している訳だが、やはり、そうなれば呑むべきものはギネスに限る。豊かな香りがたまらない。沁みる!

フィッチュアンドチップスをつまみつつ、これをゴクリとやると、もう、生きてるって最高、と思ったり思わなかったりするのである。

あ、私、命とかないんですけどね。機械だから。一種の。


おっと。

そろそろ今日の演奏が始まるようだ。どれどれ──



ポールたちの歌と演奏は最高だ……。ギターをつまみ弾く極東人がまたいいんだこれが。

民族的なアイリッシュ・サウンドもいいが、現代的な曲もまた良いものだ。沁みる。

この影のすみずみにまだ染み渡る……。

ああ、たまらない──


良い夜だ。こんな夜は、そうだな、この影の体に更なる養分を染み渡らせたいものだ。そう、たとえば、少女と黒色のおとぎ話であるとか。

ん。今日は何日だ?


……11月21日?


おお、なんと、今日は新作機関ソフト『漆黒のシャルノス』の発売日じゃないか!

そうだ、すっかり忘れていたぞ。買いに行かなくては。

名残惜しいが今夜のパブはここまでだ。夜の街へ、出掛けることとしよう。そうだ、私は今夜、シャルノスを手に入れるのだ。手に入れなくてはならない。

◆     ◆     ◆

何だか様子がおかしい……。

ここは、確かにロンドン東、イーストエンドの機関雑貨街であるはずなのに、どうだこれは、まるで極東首都の電気街であるかのようじゃないか。しかも、これは。これはどうしたことなのか。

人がひとりもいないとは!

まさか──



まさか、ああッ、シャルノス化しているのか!?

きっとそうだ。

そうに違いない。何ということだ、機関雑貨街はシャルノス化してこのような姿になっているに違いあるまい。人がいないのがその証明だ。

これはいけない。危ない。影人間と言えども、凶悪な黒妖精や《怪異》に対しては為す術がない。物質という楔に縛られている我々には、シャルノスに属する者どもに対抗することはできないのだから。


しかし、なんということだ。

シャルノス化してしまった街で新作ソフトが買えるのだろうか。

店もやはりシャルノスとなってしまっているのか──


確かめてみなくては。

まずは、そう、この──



この『とらのあな』さん──

ああっ、閉まっている!

シャルノス化してしまったせいで、開いていない!!

なんということだ、これではソフトが買えない……!

ど、どうしたら良いのだ。いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。



この『アソビットG』さん──

ああっ、閉まっている!

シャルノス化してしまったせいで、開いていない!!

いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。




この『メッセサンオー』さん──

ああっ、ここも閉まっている!

いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。



この『げっちゅ屋』さん──

ああっ、ここも閉まっている!

いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。



この『ソフマップ』さん──

ああっ、ここも閉まっている!

いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。



この『メロンブックス』さん──

ああっ、ここも閉まっている!

いや待て落ち着け。偶然かも知れない。

別のお店なら或いは……。



この『メディオ』さん──

ああっ、ここも閉まっている!

シャルノス化してしまったせいで、開いていないのだ!!

なんということだ、嗚呼、影人間にはソフトを買うことすら許されないのか。

おお、なんということ、なんという儚さ。私は嘆く。私は噎ぶ。私は、ああ、愕然としながらも息を潜めつつ、シャルノスと化した街を彷徨うしかないというのか。

あまりに。あまりに酷な仕打ち。ふて寝しようにも、シャルノス化した街の中ではどのようにしてふて寝すれば良いのかもわからない……。


嗚呼……。



誰もいない街──

そういえば聞いたことがある。

夜の7時を過ぎると、アキ…なんとかという名を持った極東首都の電気街は、シャルノスと化してしまうという、他愛もない若者たちの噂を。極東のことを意識したことなどなかった私だが、こうして目にする風景を見るに、ああ、その噂は真実であったのかも知れないと思い至る。その歪みこそが、私を巻き込んだのやも知れない。

時と、あと色々なものを超えて。

ああ、なんということだ。夜の7時とは、あまりに早い!


「最近はもっともっと遅いのだよ。ニャ」


む、老いた猫の声がする。

誰の声だ?

「汽車のなくなる間際にならないと暗くはならない街なのだ。ニャ」


なんだ、それでは普通の街ではないか……。


「時は流れゆくものだよ」


なんと……。

しかし、それはともかくさし当たっての問題は、このシャルノス化した街だ。猫の老人の声など、今の私にとってはさしたる問題ではない。

このままでは何も買えない!

私は『漆黒のシャルノス』を買わなくてはいけないのだ。

しかし、どうしたら!



……ん?

電信が、以前に拾った私の電信の4つの計器が動いている!

これは……つまり……。

4つの断片を集めて、出口を見つけ、脱出し、見事に『漆黒のシャルノス』を購入せよという主命に違いない。いや、たった今、そうに決まった。

私は主命を受諾するのみ。

私は主命を受諾するのみ。


やれやれ、どうやら、長い夜の始まりになりそうだぜ──

 

『漆黒のシャルノス』本日発売です!
※みなさまは、どうか、シャルノス化してしまう深夜以外の時刻にお求めください。

 

 

★黒のおまけ



ふむ、コスプレ居酒屋とは…?

(影人間は目的を見失いつつあった!)