■信天翁航海録世界観コラム01

  ―――信天翁号・船内の様態―――

 ……船舶業界の嫌われもの、海の裏街道往く信天翁号、浮いているのが不思議なくらいの老朽船、機関も船体も何もかもガタが来たオンボロ船ではあるが、航海の為にはやはり相応の仕事というのが発生する。もとよりどこの船舶会社・機構に所属しているわけでもなく、身元明らかな船主の所有に帰すわけでもない、いわば船乗りの中でも食い詰め者達の寄り合い所帯のこの船であるからして、船内に組織だった指揮系統は存在しない。
現在のところ船の運航立案は、一等航海士シサム・キサラ、水夫長龍(ロン)の親爺、機関長ロックフォール・王(ワン)の四人の合議、というかその場の勢いというかによって為されており、以下下級水夫達はその時々の状況に応じて流動的に人員が配分される。なお船長クロは一応船長という職掌を与えられてはいるものの、通常の運行計画や立案に口を出すことは一切求められておらず、ただ荒天時の時のみ、航行指揮の為に駆り出される。
事実上一等航海士・水夫長・機関長が信天翁号のトップ、三奉行として船内の上位に位置しているが、彼らを超えて最高位にあるのが黒猫、時雨宗右衛門だというのだから、いよいよこの船のイカレ加減が知れようというものだ。トップの四人の間で意見がまとまらないような懸案事項の最後の決裁権はこの宗右衛門猫が有している。
信天翁号は、あくまで無理矢理分類するなれば一応外航貨物船という事になる。通常の外航船舶の場合、船内の業務は「甲板部」「機関部」「事務部」の三種に分類されるが、信天翁号においてはこの区分は曖昧で、大まかに船の操船や荷の管理、機関の管理と保守、後は船員達の食事の準備その他というような緩やかな担当分けがある程度。これらの仕事の当番を、水夫長が一等航海士や機関長の要求とその時々の状況に応じて、下級水夫達に振り分けている。
思えばこの下級水夫達も相当に奇妙な存在ではある。一律同じ貌と体格、そして同じ衣装の少年達であり、この同一の外見のせいで一体何人存在しているのか、その正確な数の把握からして難しい。ある時などは、水夫長が気まぐれを起こして朝と夕に船内全部の下級水夫を集めて点呼をとってみたところ、人数に十人以上の差が発生したという事実もあるくらいで、船内の忙閑に合わせて人数が変化する、という噂もどうやら真実としか言い様が無さそうだ。水夫長の言によると、「暇な時は大体二〇人程度、忙しいときや喧嘩出入りの時は一〇〇人程度」と相当に人数の幅がある模様。下級水夫達一人一人の体力、能力は、やはりその少年というなりから、一般の成年男性には劣るようだが、彼らは無類のチームワークを誇っており、働きぶりは実のところ他船舶の船員達と比べても優秀な部類に分類される。実際のところ、彼らなくしては信天翁号の運航は立ちゆかない。
また彼らの中には、ある一分野に対して顕著な特性を見せるものも多数存在する。暗記が得意、字が上手、といった地味なところから、医学に通じている、機械の修理に長ける、食用になる魚の鑑別と料理法を心得る、といった航海に際し非常に重宝される技能を持つ者まで様々だ。中には、見ただけで御婦人のスリーサイズを言い当てる、あやとりの技を千種類近く知っているなど、扱いに困る特技を持つ者もあるのも確かだが。ただし彼らに共通して言えることは、性格が多少の差はあっても基本的に穏当で控え目であり、美点といえるのだが、人の上に立つような積極性と、指揮・統率能力は持ち合わせない、という事である。つまりあくまで彼らは下級水夫で、それ以上でも以下でもないのであり、彼ら無くしては船は立ちゆかないのだが、彼らだけでも航海は不可能という事でもある。
それでは、そんな彼らの中から一人、とある下級水夫の一日を追ってみよう。

 

   ―――ある下級水夫の一日―――

〇七三○:
起床。昨日は遅くまで出港の準備で石炭運びだったから、まだ体のあっちこっちが痛いです。後で仲間とあん摩を代わりばんこにやろう。そういえば昨日、荷の積み込みのとき、朔屋さん、重くてよろめいてキサラのお尻に顔から突っ込んで、湾に蹴り落とされてたけどちゃんと上がれたんだろうか。
昨夜寝る前に真水で体を拭かせてもらったのは良かった。だから今朝は、顔だけおしぼりで拭いて、目やにもちゃんと落として、ご飯大急ぎで食べて、上甲板に向かいます。
……あの、僕ら、隠れているだけでちゃんとお目々、ありますからね?

〇八〇五:
これから仲間と二人で当直(ワッチ)です。ちょっと遅れちゃったけど、水夫長(ボースン)は今朝は随分機嫌が良かったみたいであんまりどやされなかった。ただ食堂で、声をがらがらにしてぐったりしている子がいたから、多分読み聞かせ、一晩中くらい長びいたんじゃないかと思う。僕の番が回ってくるときのこと考えると、今から憂鬱だな……。
今日は曇り空で波がちょっと高くて、物見櫓の上は結構揺れてる。でもさっき甲板で、一等航海士が船長にちょっと話しかけただけですぐ行っちゃったから、嵐が来るほどでもないんだろう。まあお昼まではここでがまん、がまん。一緒の子と、今バラックの中でやってる船上栽培で、何を育てようかの相談もします。一緒の子は先からトマトが良いなんて言っているけど、僕はモヤシ辺りから始めたほうが無難だと思うな……。
当直(ワッチ)を始めてから二時間ぐらいたった頃、朔屋さんが上甲板に上がってきて、船縁からげえげえ吐いてました。あの人も船酔いはしないくらいには慣れてきたから、昨夜また悪いお酒でも呑んだんじゃないかな。ホントこりない人だと思う。
三時間くらいたった頃、三時の方向に船影発見。どこかの軍艦っぽかったけど、こっちには構わず行ってくれたので一安心。こないだは海賊と怒った漁師さん達の船と、巡視船と、三連ちゃんだったからしばらくはああいうどたばたはごめんです。

一二一〇:
やっと当直(ワッチ)も終わって、これからお昼です。特に体を動かしたわけでもないのに、お腹はもうぺこぺこ。でもこの船はなんでかお昼ご飯が一番種類と量が豊富だから、たくさん食べれます。ていっても僕達は、他の船乗りに比べるとそんなには食べないけどね。今日の献立は、焼き鳥とちらし寿司と酢の物と、茶碗蒸しと油揚げのお味噌汁と塩ジャケの焼いたやつと生キャベツを刻んだの。今日は和食が得意な仲間の当番の日みたい。生のお野菜が嬉しいけど、食べられるのは出港直後だけだからつまんないよね。
朔屋さんはなんだか青い顔をして、お味噌汁ばかり啜ってました……と思ったら、変な顔をして口の中から引っぱり出したのが、大きなボタン。貝殻の。ああいう小物を集めるのは船長の癖なんだけど、なんで味噌汁なんかに入ってたんだろう、なんでちょうどあの人のお椀に入ってたんだろう。よくよくついてない人だ。
その船長なんだけど、茶碗蒸しのお椀が温くなった頃、こっそりポケットに入れたりなんかしてる。あの人、食べきれないのをよくああやって部屋に持って帰ったりするけれど、あれ、やめた方がいいと思う。多分後から大変なことになるような気が……。
僕らはいつも通り、ちらし寿司は一杯ずつくらいしか食べなかったけれど、シサムさんキサラさんは五杯、それから泪さんが三杯お代わりしてました。水夫長でも三杯なのに、女の人のあの人たちが、一体どこに入ってどこのお肉になるんだろう。そう思って見てたら、気づかれちゃった、泪さんが僕のほうを見てにっこり。「お食事、ご一緒にいかが?」なんて誘われたけど、慌てて食堂から逃げ出しました。だってあの人に捕まった仲間、その後三日間くらいぐんにゃりしちゃって寝込んじゃって、うわごとばっか言うようになったんだもの。綺麗な人なのに怖いのは、航海士と一緒です。

一四三○:
これから、船底の倉庫で積み荷のチェックです。こういう細かい仕事はやったりやらなかったりなんだけど、今回積んだのはちょっと値の張るトルコの絨毯とかで、水夫長、少し神経質になってるみたい。まあこれ、多分ニセモノだろうけど。いちいち勘定して帳面を付けるのはちょっと面倒だけど、そんなに疲れる仕事って訳じゃない。もしかして水夫長、昨日石炭運びした子には楽な仕事を回してくれてるのかな。
そうやって倉庫を回ってると、物陰でなんだかごそごそやってる朔屋さんを発見。積み荷をかっぱらうつもりなのかと様子をみたら、あの人、なんだかいやらしい雑誌を見てハァハァ言ってるぅ……荷の積み込みの時に紛れて手に入れたものなんだろうけど、そしてやるなっては言わないけど、せめて自分の部屋に持ちこんでから見ればいいのに……。そんなに待ちきれなかったのかしら。見なかったふりで行こうと思ったら、その朔屋さんの横にひょっこり出てきて、エロい雑誌を不思議そうに覗きこんだ人が。あれ……密航者だ! 近頃は姿を見せなかったけど、やっぱり乗りこんでたんだ! 朔屋さんもようやくきづいてわあわあ言っている。仕事も中断になって、密航者を捕まえるためにみんなで大騒ぎ。
じきに捕まって、今回は彼女、もう棄てるしかないような野菜屑の樽に詰め込まれたんだけど、その時に「うああん、女の裸ばかりが載った雑誌に釣られた、直正のーっ」とか叫んだものだから、朔屋さんのエロ雑誌は水夫長に没収されて、厨房の焚き付けに回されました。朔屋さんは竈の灰になった雑誌の前で、がっくり項垂れてしばらく動きませんでした。

二〇〇〇:
午後一杯は密航者のお陰で潰れたけど、夜は特になんにもなくって、大部屋のみんなとお喋りしたりご飯食べたり、非番の仲間と通路でボーリングごっこしたりしてるうちに、もう僕は寝る時間です。さすがにちょっと早いけど、明日は〇四〇〇から当直(ワッチ)なので、もう寝ておかないと。でもなんだかちょっと口が寂しい。晩ご飯はちゃんと食べたけど、そういうんじゃない、何か甘いものが欲しい。
なんで、こっそり隠しておいたリンゴチップスを取りに行くことにします。船内通路の階段の下の道具箱、なんでか二重底になっているのをこの前発見したんだ。そこに隠しておいた。たっぷり一袋あるから、食べたいっていう子には分けてあげよう……。
―――でも。僕。そう思って。
―――ちょっとわくわくしながら取りにいったら。
―――階段下にはなんでか朔屋さんと智里さんがいて。
―――二人で酒盛りの途中で。
「朔屋お前さ、それ、水夫どもの隠しおやつだろ?
ちぃとは気が退けん? なんぼジンの肴がないからと、そうぱりぱりと」
「えー、さっきから同じようにぽりぽりやってるあんたがそういうかぁ? でもこれ、この甘酸っぱいの、ジンに意外に合うよなあ」
「そらお前、洋酒のつまみにゃ干し葡萄とかよくするだろ。それとおなじよ」
―――とかなんとか、ぐびぐびやりながら、ぱくぱく食べていたわけで。七割方もうなくなっていたわけで。僕の。みんなにも分けようと思っていた、甘酸っぱくて、さくさくの、リンゴのお菓子……。
……。
…………。
ぼく もう ないちゃっても
いいよね?

 

 ―――その後、下級水夫を大泣きせ、彼らの怒りを買った朔屋は、まる二日、厨房で食事をとることが禁じられたという。智里は魚を釣ったり、彼自身どこかに隠していたその他食料でのうのうと過ごし、その内から詫びのつもりかビスケットの一缶などを下級水夫達に付け届けたりでそつなく関係修復をこなしていたが、朔屋はしばらく下級水夫達から冷たい態度を取られつづけたのだった。