■第6回

江戸あれこれ

氷笹「さて、前回はちょっと重苦しい内容も多かったし、今回は気軽に行こうかねぇ」
珠琴「今回は、江戸の町のいろんなことについて、お話しようと思います!」

 江戸の町は、江戸時代中期の18世紀初頭には、百万人の人口を超える都市となっていました。このうち、町方と呼ばれた町民がおよそ半分ほどで、残りが武士階級でした。町方の男女比は、江戸末期にはほぼ同数近くとなったものの、ほぼ江戸時代全般にわたって、男性が女性の2倍から1.5倍ほどだったようです。武士階級の方も、参勤交代で江戸に上ってきた大名の家臣や、江戸在番と呼ばれる自分の領地から江戸に交代であがってくる旗本などは、当然、妻子を国許に残しきていたため、いっそう、男性が多くなっていたと思われます。結果、吉原や、岡場所と呼ばれる非公認の遊郭が発展することとなりました。吉原でも、あれほど、遊女がもて囃され、遊女主導の文化ができあがったのも、この男女比による需要過多が背景にあることは間違いないでしょう。

珠琴「第2回でもちょっと話したけど、こんなに男の人と女の人とで人数が違ったんだね」
氷笹「お武家様はもちろんとして、町方も、仕事を求めて江戸に来るのがほとんどだったからね。当然、男が多かったのさ」
珠琴「岡場所ってなぁに?」
氷笹「吉原以外の、遊女屋の集まっている場所さ。有名なところとしては、品川、内藤新宿、板橋なんかがあるね。これらは、江戸の出口みたいなもんで、当然、人の出入りが多かったのさ。人の出入りが多ければ、遊女屋も商売しやすいからね」
珠琴「吉原にとっては商売敵なのね」
氷笹「当然、幕府も何度も取り締まっている。吉原からも、岡場所の取り締まりを条件に、新吉原移転を飲んだりしているね」
珠琴「うわ、商売が上手いというか、えげつないというか。次は、江戸と火事についてです」

 江戸の町は、非常に火災に弱い町でした。
 建物のほとんどが、木造建築であったため、一度、火の手があがると、瞬く間に燃え広がります。一度、炎上すると水による消火はほぼ絶望的で、その消火方法は破壊消防と呼ばれるものに限られます。これは、燃えている建物の周囲の建物を破壊し、延焼を防ぐというものです。いろは四十七組で有名な町火消しは、享保の改革で制度化されたものですが、このような火消しが、武家、町方あわせて様々に組織されました。
 火付けと呼ばれた放火は当然ながら重罪とされ、捕まれば死罪です。未遂だったとしても、厳しく罰せられました。

氷笹「元吉原から新吉原に移ったきっかけになったのも、明暦の大火だったからね。吉原も、何度も火事に焼かれているんだよ」
珠琴「そのたびに、仮宅営業といって、近所の焼け残った家を借りて、見世を張っていたんだって」
氷笹「ちなみに、吉原が火元となった火事も何度もあるのさ。世を儚んだのか、火事に乗じて逃げようとしたのか、遊女自身が火を付けたこともたくさんあるんだね」
珠琴「いくらつらいからって、火を付けるなんて!」
氷笹「……まったくだね」
珠琴「では、今日の最後の話題は、江戸の町のお金についてです」

 江戸の町では、貨幣による取引が行われていました。
 流通していた貨幣は、金、銀、銭の三種類で、金を基準に、銀、銭の価値が決まっていました。
 金は、小判でも有名な一両、一両が、金4分、金1分が金4朱と定められていました。一両小判はだいたいにおいて、儀礼的な存在で、実際に売買で使用されたのは、銀、銭でした。これらは、金一両を基準に、価値が決められていました。
 銭は、だいたいの時期において、金一両に対して、銭4000文と定められていました。しかし、時代が下るにつれて、この銭の価値も変動していくことになります。
 銀は重さによって、取引され、単位は、匁、貫が使用されていました。金一両あたりの銀の価値は、相場によって日々変動しています。幕府は何度か、金と銀の交換比率を一定にするよう、お触れを出していますが、実際は変動相場で取引されていました。
 この金、銀、銭を交換していたのが、両替商と呼ばれる商人達で、彼らは貨幣の両替の他に、貸し付けや手形取引など、今の銀行と同じ役割を担っていました。

珠琴「さっぱりわかんない」
氷笹「江戸の町方にとっては、一両小判なんて、もらってもそのまま使えるものじゃなかったのさ。だから、両替して銀や銭に細かくしてから使っていたのさ」
珠琴「町の人にとっては、銀や銭の方が使いやすかったってことだよね?」
氷笹「そう。たとえば、一年の俸給は銀でもらうのが主流だったようだね。日給なんかは、銭が中心だったのさ。一日分の米や油、蕎麦や酒なんかは、銭で買えたからね」
珠琴「両替商って、吉原にとってもお得意様だったんだね」
氷笹「銀や銭を両替するたびに、手数料をとっていたし、金貸しもやっていたからね。吉原のお大尽と言ったら、最初の頃は豪商、後になってくると両替商、札差となってきたわけさ」

 江戸の町も吉原と同じように、江戸時代の250年以上の間に、様々な変化を遂げていきました。そのもっとも大きな変化は、経済的にも、文化的にも、日本の中心地として発展したことでしょう。その原動力となったのは、太平の世と言われた中で力をつけてきた町方と呼ばれる、商人、町人達でした。

氷笹「というわけで、今回はこれでお終い」
珠琴「なんか、気軽にって言ってたけど、難しい内容だったね」
氷笹「もっと難しくすることはいくらでもできるんだけどねぇ」
珠琴「うう、頭がこんがらがっちゃうよ」
氷笹「さて、この読み物も次回で最終回」
珠琴「次回は、吉原のいろんな豆知識をお送りします!」

次回は「吉原あれこれ」です。

 


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■コラムバックナンバー
・第1回「吉原事始め」
・第2回「江戸概略」
・第3回「吉原の遊び方」
・第4回「江戸流行りすたり」
・第5回「吉原の歩き方」