■第1回

吉原事始め

珠琴「ねぇねぇ、天音姐さん」
天音「なぁに、珠ちゃん」
珠琴「あたし達のいるこの吉原って、どうやってできたの?」
天音「え? どうしたの、急に」
珠琴「この間、お客様に聞かれたんだけど、答えられなくって。悔しかったからちゃんと憶えておこうと思って」
天音「まぁ、めずらしく勉強熱心ね。ええとね……」

 吉原は、江戸時代に、江戸の町で発展した遊郭街です。
  徳川家康の江戸入府以来、発展を続ける江戸の町の人口は増加の一途をたどり、様々な人間を集めた、日本で最も大きな都市となりました。人が集まれば、歓楽街が発展するのも当然の流れで、江戸の町の各所には遊郭街が作られていきます。
  しかし、幕府方は無秩序に発達していくこれらの遊郭を快く思わず、遊郭を厳しく取り締まります。その中で、庄司甚内という遊郭街の頭領が、各所の遊郭を一ヶ所にに集める願いを幕府に提出します。
  提出から五年後の元和三年(1617年)に幕府は正式にこれに許可を出し、現在の日本橋の近く、葺屋町の東に土地を与えて、そこに遊郭を集めました。これが吉原の歴史の始まりとなります。

珠琴「あれ? 日本橋?」
天音「ええ、そう。お城のすぐそばだったの。今の吉原と区別して、『元吉原』って呼ばれていたのよ」

 吉原の名前はその土地の名前からついたものではありません。
  当時の葺屋町周辺は、一面に葦(あし)の茂る野原でした。「葦の原」という発想から、「葦」は「悪し」と呼んで縁起が悪いことから、これを「吉(よし)」と呼び変えて縁起を担ぎ、「吉原」という名前になったと言われています。

珠琴「葦原じゃダメだったんだ」
天音「江戸の人は縁起をかつぐものなのよ」
珠琴「あぁ、確かにそうだよね。それで、なんで今の場所に引っ越したの?」

 悪所とも呼ばれていた遊郭街を一ヶ所に集めて管理できるということは、幕府にとっても都合のいいことで、吉原は江戸唯一の公認の遊郭街として成立します。しかし、当初は荒れ野原だったこの周辺も、江戸の町の発展とともに開発され、吉原の周囲は江戸の中心地となっていきます。そこに広い土地を占める遊郭街は、またも幕府にとって都合の悪いものとなり、吉原の遊郭街は移転命令を出されることになります。

珠琴「それで今の場所に引っ越すことになったの?」
天音「ええ、そうなんだけど、今の吉原は江戸の北の端でしょう? お店の主人達はずいぶん反対したそうなの」
珠琴「不便になっちゃうものね」
天音「ええ。土地を広くしてもらったり、支度金を出してもらったり、いろいろしてもらって、その移転計画を受け入れたそうなのよ」
珠琴「転んでもただでは起きないってやつだね」
天音「ええ、そうね。あと、どうしても引っ越ししなきゃならない事件も起こったのよ」

 明暦三年(1657年)、「振袖火事」と呼ばれた大火事が江戸の町を襲います。江戸城の天守閣を始め、町の半分を焼いたこの火事により、元吉原も焼け落ちてしまいます。これを契機に遊郭の店主達は移転計画を推し進め、浅草日本堤に新たに与えられた土地に、店を移しました。土地の広さは元吉原の約1.5倍。江戸の中心からは大きく離れたものの、大川(現在の隅田川)沿いのため、舟などで行き来ができる場所でした。

天音「火事からおよそ十ヶ月で引っ越しを終えて、お店を始めたらしいの」
珠琴「田んぼの中だったんだよね?」
天音「ええ、そこに今と同じ街並みを作ったのね」
珠琴「早いねぇ」
天音「ええ。町を作っている間も、仮宅と呼ばれた付近の料理屋さんを借りて営業をしていたのよ」
珠琴「お店開いていないと、お金がなくなっちゃうものね」
天音「引っ越しの時には、女の人みんなで着飾って、浅草まで向かったそうよ」
珠琴「花魁道中だ!」
天音「ええ、そのはしりみたいなものね」

 こうして吉原は現代に伝わる姿で営業を再開します。約250m四方の街並みをお歯黒溝と呼ばれる堀で囲ったこの遊郭街は、以後300年間、姿形を変えながらも、続いていくことになります。特に江戸時代では、発達していく町人文化の象徴の一つとして、流行の発信地としての役割を担っていきます。

天音「こうして今の吉原ができあがったのよ」
珠琴「なるほど〜。ところで、天音姐さん」
天音「なぁに?」
珠琴「あたし達のいるこのゲームの今っていつなの? 元禄? 享保? 文政?」
天音「え、えぇと、それはね……、つ、次に吉原についてのコラムで教えてあげるわね」
珠琴「えええ〜! なにそれ〜!!」

次回は「お江戸の歴史」です。

オイランルージュ背景2
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