■第7回

吉原あれこれ

天音「この読み物もいよいよ今回で最終回です」
氷笹「それじゃ、最後はここまでで拾い損ねたちょっとした話と、吉原の歴史の後半をたどってみるとするかねぇ」

 元吉原時代、吉原の遊女屋の営業は昼間に限定されていました。これは、屋敷に帰参する時間が厳しく取り締まられていた武士が客の中心だったためと言われています。幕府から許可を得て作られた遊郭であるだけに、当初の客は武士を中心に想定されていたのです。しかし、次第に吉原を訪れる客は、武士以外の町方が中心となっていきます。この新しい客を相手にするには、昼間の営業だけでは都合が悪く、新吉原の移転に伴い、夜間の営業が許可されます。
  吉原の大門は、幕府との取り決めでは、夜四ツ(午後十時)に閉じられることになっていました。しかし、実際にはこの時間では営業に差し障りがあったため、大門は夜九ツ(午前0時)に閉じられていました。

天音「新吉原で時間を報せるのは、浅草寺の鐘でした。この鐘の他に、拍子木を鳴らして、廓内に時間を報せていました」
氷笹「夜四ツに大門を閉めるという体面を守るために、浅草寺の鐘が四ツを鳴らしても、すぐには拍子木を鳴らさなかったのさ」
天音「実際には、九ツの鐘が鳴ったのが聞こえてから、拍子木を四ツ鳴らし、すぐに九ツの拍子木を鳴らしていたそうです。そのため、吉原では、午後十時を鐘四ツ、午前0時を引け四ツと呼んで区別していたのです」
氷笹「おかげで、『吉原は 拍子木までが うそをつき』なんて川柳も詠まれていたのさ」

 その吉原ですが、実際にはどれほどの遊女がいて、店が並んでいたのでしょうか。吉原の店、遊女の数をまとめた細見の中で、江戸時代のいちばん最後に作られたのは、天保十四年(一八四三年)のものになります。
  それによれば、吉原内の店の数は742軒。このうち、総籬と呼ばれる大見世は、わずかに1軒のみ。半籬17軒、総半籬84軒で、あとは小格子、局見世などの小さな店でした。遊女の数は3812人。内訳は、太夫4人、格子65人、散茶などの座敷持と呼ばれた中級の遊女が400名余り。その他は、局女郎や下級の遊女でした。

氷笹「実際には、この時代になると、太夫、格子なんてのは名前だけになっていたのさ」
天音「松の位と呼ばれた最上位の遊女に対して、太夫と呼ぶ伝統が残っていただけだったようです」
氷笹「最後に太夫の名を持っていたのは、宝暦年間(一七五一〜一七六四)の『花紫』。彼女がいなくなってからは、太夫の名にふさわしい遊女はいなくなったと言われているのさ」
天音「吉原でも、変わっていくお客様にあわせて、遊女の位に対する名前は変わっていきました。太夫、格子、端に別れていた遊女の格付けには、散茶、呼び出し、座敷持と呼ばれるものが加わっていったのです」

 吉原も、時代にあわせて変容を続けていきました。大名や豪商などが店を一軒借り上げる総仕舞を振る舞っていた元禄期から、札差と呼ばれた金融業者が上客となった文化・文政期以降では、その仕来りや伝統もずいぶん変わっています。
  江戸の町でも、厳しかった岡場所への取り締まりは徐々に緩くなっていき、品川、内藤新宿、千住、板橋の四宿では、実質的に岡場所が黙認されていくようになりました。江戸の男衆は高額な吉原を避け、この安価な岡場所に流れていきます。吉原でもその流れに対抗するために、手頃な値段の位の遊女が増え、そして、複雑な仕来りも徐々に消えていったのです。

氷笹「そして、同時に客の粋、遊女の張りなんて言葉も、だんだん消えていっちまったってわけさ」
天音「時代の移り変わりというには、寂しいですよね」

 しかし、江戸時代が終わっても吉原は残り続けます。明治時代になってからも、官許の遊郭として残り続けます。規模としては衰退しつつも、その歴史は昭和までも続き、第二次大戦も終わった一九五七年、売春禁止法が施行されたことにより、遊郭としての歴史に幕を下ろしました。
  現在は地名として、その名を残すのみですが、江戸時代を代表する遊郭として、また、独自の伝統と文化を誇った色町として、吉原は歴史に確かな足跡を残しているのです。江戸の町方の憧れとなった華やかな夜の城、そして、幾多の遊女の涙を闇に抱え込んだ苦界の街として。

氷笹「吉原がここまで名を残したのは、伝統と仕来りの他に、その歴史を彩った太夫や遊女達の話がいくつも伝わっているからだろうね」
天音「歌舞伎、浄瑠璃、黄表紙本などで伝えられる太夫や遊女達の逸話は、江戸の町の人達にとって、大きな娯楽であったと同時に、そのもとになった遊女達の存在を伝えるものだったのです」
氷笹「さて、ここまで、この読み物に付き合っていただき、ありがとうございました」
天音「いよいよ、今週末、『オイランルージュ』の発売です。あとは、ゲームで吉原の雰囲気を楽しんでいただけたらと思います」
氷笹「今、これを読んでいるあなたが、わたし達の旦那様になってくれるのを楽しみに、お待ちしていますよ」
天音「それでは、7月22日にまた、お会いしましょう。その日まで、さようなら」

 


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■コラムバックナンバー
・第1回「吉原事始め」
・第2回「江戸概略」
・第3回「吉原の遊び方」
・第4回「江戸流行りすたり」
・第5回「吉原の歩き方」
・第6回「江戸あれこれ」