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帝都飛天大作戦外伝・天狗も空から墜ちる
文/猫実遙

  帝都。銀座の一画のビルヂング内。
  伽藍の寓居である、どう見ても外観より内の方が広い大広間。
  珍しく使い天狗たちが、主(あるじ)、黒羽伽藍の帰りを待ちながら、心配そうにさわさわと囁き交わしている。
  それを見てとったキトラは、何事があったのか尋ねようと寄っていった、そのまま彼女たちが指さす空間を見る。

  見上げると広間の宙には、使い天狗の験力か、傷つきよろめきながら帝都の上空を飛翔する主の姿が投影されていた。
  普段は力強く羽搏く黒翼は動きを見せず、それでも時折風を掴もうと弱々しくあがき、だんだんに彼の寓居へと近づきつつはあったけれども、遂に力尽きたように垂直に―――墜落した。

  彼自身に残された僅かな験力による最後のひと羽搏きと、これはおそらく必死に何がしかの術を駆使したらしい使い天狗たちの助力でもって、伽藍の身体は空中に生じた寓居への「入り口」へ滑り込んだ。
  床に敷かれた絨毯の上へ、血糊と、悪臭漂う汚泥のようなものに汚れ傷ついた身体が投げ出される。

  ついぞ見たこともない、伽藍の意識無く横たわる姿に、キトラはおろおろするばかりであった。
  横暴なことこの上なく、埒もない悪戯を仕掛けてきたり、見当違いの気配りばかりをしてくるような主人であったけれども、決して死んで欲しいなどと思ったことはない。今はただ、心配で、心配で、何も考えられず、血だらけの引き裂かれた革手袋を外し、そっと、傷ついた手を取る。

  冷たい。

「そんな……」

  ざっと、自分の血の気が引く音すら聞こえたような気がした。

  いつもはあんなに暖かいのに。息……息をしているだろうか。息づかいが聞こえるだろうか。心臓はまだ脈打っているのだろうか。確認などできない。もし、もしもそうなってしまったらと考えるだけで、手以外の箇所に触れることも、いやそれどころか身動きひとつできない。

  周囲ではなにやら叫び交わしながら、使い天狗たちが集まってきているようだった。集まってきているはずなのに、彼に手当を施すだとか、身体を寝台へ運ぶといった当然の仕事が行われていない―――それどころか彼女たちの姿は減りこそすれ、全く増えていない。じきに周囲は、かちり、からから、という何かが転がるような音を微かに残し、しんと静まりかえってしまっていた。
  キトラはそのような周囲の出来事を、全く認識できていなかった。

「―――がらん、さん。がらんさん?」

  下僕か、と応える声の幽(かそけ)きに、生きている、と弱っている、がいちどきに示される。
  安堵と心配が表へあふれ出てきて、ぼろぼろと涙を零しながら―――キトラは何故か気を失った。

◆   ◆   ◆

  どれくらいの時が過ぎたのか―――ふ、とキトラは目を開けた。
  頭が重い。
  伽藍の様子はといえば、何故か傷の手当てもなく放っておかれている様子ではあったが、どうやら眠って―――生きて―――いるようだった。
  この状態の主人をそのままに放置するというのは、使い天狗たちらしからぬ話だった。

  血がついてしまうけれども、冷やすのも憚られて、キトラは寝台から運んだ毛布をそうっとその身体へかける。
  指を動かすのさえ億劫なほど身体が、何より気持ちが、重い気がした。尋常ではない気怠(けだる)さに息を吐いた。
  水の一杯もいただこうと、広間の、調理場になっている一画へ目を向けると、そこを越えて遙か遠くから、使い天狗が二名ほど、こちらへと手招きしている。

「よかった。目が醒めたみたいで」
「伽藍様の様子はどんなかな?」
「まだ目を醒ます気配はありませんけど―――あの、皆さん何か近寄れない訳でもあるんですか?」

  キトラは、彼女たちに勧められるまま、運ばれてきた水差しの水を受け取って尋ねた。ひどく喉が渇いていたと見え、甘露と一気に飲み干した。
  お茶と茶菓子も運ばれてくる。餡の甘味が身体に染み渡るようで、キトラはこれも夢中で頬張った。

「順序だてて話すと、長くなるから―――お願いだから、それ食べたら、ちょっとこの護符を懐にでも入れて、そんで伽藍様のお怪我を看てあげてくれない? 傷を綺麗にして、この軟膏を塗ってくれる位で大丈夫だから、ね?」

  やはり彼女たちには、何やら事情があると見え、普段ならさっさと済ませてしまうような世話事をキトラに頼んでくる。
  キトラとしても、あのまま伽藍を放っておくなどありえない。沸かしてもらったお湯を盥(たらい)へと運び、清潔な布をもらって仕事にかかる。目の前にやるべき事があったほうが、キトラは肝が据わるようだった。血と、汚泥のような嫌らしい汚れを拭き取り、汚れた布はしばし考えた後、きっぱり捨てることにした。

  体にある無数の切り傷の他に、首筋にえぐれたような酷い傷を見つけ、そこにこびりついた血の固まりに触れた時だけ、伽藍は眉を顰(しか)め呻き声を漏らした。

  彼女一人ではとても主を寝台に運ぶとことはできないのでそれはあきらめたけれども、僅かに身動(みじろ)ぎする主の身体と、汚泥に汚れた絨毯の間に、なんとかまともな布をねじ込んだ。既に服ともいえない襤褸(ぼろ)を捨てて、すっかり身体を拭き清め、新しい毛布を掛けると、小一時間は過ぎたようだった。
  へとへとになって、向こうから遠巻きに見守る使い天狗たちのところへ行くと、食事と熱いお茶が用意されていた。

「ありがとうございます、頂きます。……それで、皆さんはどうして伽藍さんに近寄れないんですか? それに、いつもたくさんいる他の使い天狗さんたちは……?」

  尋ねると、使い天狗たちはまず、キトラを椅子へ座らせた。

「じゃあ、伽藍様が今日退治してきたばけものの事を話すね。そいつらは、普段伽藍様が相手にしている鬼や妖怪とはぜんぜん違うものなんだ」
「あれは、鬼、あやかし、人間、なんでも襲う。何にでも食いつく。でもお肉を食べるんじゃない―――血と生気、それに、厄介なことに験力や霊力を吸い取っちゃうの」
「あいつらは伽藍様たちのような天狗や、修験者、霊力を持つ人たちの間では、他所の世から来た脅威―――星戎(せいじゅう)と呼ばれているそうな」
「えっと、験力? 生気? を吸い取るって―――それは、どういうことなんですか?」

  鬼や妖などとは異なると言われても、キトラには今ひとつ腑に落ちない。

「んー、鬼は験力に弾かれたり、押しつぶされたりするけど、星戎(せいじゅう)はそういうのが効かないの。
  とにかく修行を積んで霊験を持つ人たちとすごく相性が悪いのね。
  符も結界も効かなくて、術による攻撃も当たりにくい。それなのに霊験が強い人を好んで襲う習性があって、若い修行僧や神祇官なんかがたくさん殺されることとかも……。伽藍様はそれを退治に行ったんだよ」
「私たちは、修験者の方たちよりもっと、相性が悪くて……お手伝いもできないの」

  使い天狗たちが何かを思い出したように、ぶるぶるっと怖気をふるい青ざめるのを見て、キトラは過去に何があったかは尋ねまい、と心に誓った。

「ずっと昔に星戎(せいじゅう)と戦った時も、伽藍様はあんな風に傷ついて戻っていらっしゃったの。あんなになってしまっているのは、傷の所為というより、験力と生気を奪われてしまったためなの」
「生気っていうのは、空っけつになっちゃうと、生き物は普通死んだり、回復がすごく遅くなる。しかも毒が術式の発動を阻害するみたいなんだよねー」
「伽藍様は前の戦いのときは、丸一日も寝てらしたの。回復のための簡単な呪すら上手く維持できないし、伽藍様の方で験力の消耗が激しいと、本来は私たちもこの姿を保てないのよ」

  最後の言葉の意味はキトラには理解りかねたけれど、つまりは、手早い回復の手だてがなかったため、本人の回復を待つしか無かったという話のようであった。

「それで、伽藍様がうんざりしちゃったのねー」

  元来気の長い性質(たち)ではない。じりじり回復するのを待つというのは耐え難い苦行であったことだろう。
  しかも、弱っているところを別の敵に狙われでもしたらそれこそ絶体絶命である。
  そこで今回はあらかじめ、回復の方法として、新しく考案した回復呪を用意してあったという話であった。

「でもそれが稼働してるとさ、回復のために、周囲の生き物やなんやから生気を勝手に持ってっちまうのよ」
「はあ―――。あれ? あのそれ、その化け物と似たことをやってるってことじゃ……」
「んー。実は、その、君がさっきぶっ倒れたのもさ、その回復呪の所為なんだよね、あはは」

  キトラはごふっと飲んでいたお茶を吹いた。

「御免、御免。人間が死ぬような吸い取り方はしてないはずだからさ! ―――多分」
「今多分っていいましたよね!?」

  キトラは詰め寄り、笑って誤魔化そうとする使い天狗をがくがく揺さぶった。

「ごーめんってば。術を遮蔽(しゃへい)する守り札をあらかじめいただいていたとはいえ、あたしたちは伽藍様に近寄らないよう命じられてたから、キトちゃんを引き離すのはちょっとねーできなくてねー」

  どうも、その回復……というか生気強奪の術は、キトラよりも使い天狗たちに強く効いてしまうらしく、他の使い天狗たちは全て犠牲になった、という話であった。

「私たちはいいつけられた雑用をこなさなきゃいけなくて、本当、ごめん!」
「人間はちょっと疲れるだけですぐ回復するはずだって聞いてたから、そのままにしちゃったの。ごめんね」

  伽藍の手当ての前に渡された符が、その呪を遮断するものだと説明される。なるほど確かに、ひと仕事終えた後だというのに、目を醒ましたときに比べキトラの気力は回復しているようだった。あの酷い倦怠感はすっかり消え、疲れはしていてもかえって身体が軽い心地さえする。

「あの、もしかして、あたしが近くにいれば伽藍さんの回復が早くなるんでしょうか」
「それはまあそうなんだけど、しんどいでしょ? 無理しないでいいよ」

  二、三百鉢ばかり植木でも放り込んでおくから、と言う使い天狗たちに、キトラは首を横に振った。

「いいえ―――これはあたしの我が儘ですけど、お傍にいたいんです」

◆   ◆   ◆

  それでも使い天狗たちの助言は聞き入れて、食事をして湯を使ってから再び、キトラは主人に侍った。
  伽藍の四囲(しい)には足の踏み場も無いほどに、植木鉢が運び込まれている。ぐるりと丸い空白地帯があるのは、おそらく使い天狗たちが用心して距離を置いたのだろう。
  見慣れた形の質素な茶色の焼き物に馴染みのある草花を見る事もあれば、美しい色彩の鉢に見たこともない変梃(へんてこ)な形の植物が収まっているものもあり、果ては巨大な鉢に見上げるほどの樹木が、植わっていた。

  キトラにとっては珍らしいものもあったけれども、中身は一様に元気がない。これだけの草木があれば、おそらく回復するのに数時間もかからないだろう、というのが使い天狗二人の、ひいては伽藍の見立てだった。
  もともとそのために運び込まれたものとはいえ、キトラは、伽藍が目覚めた時に生き生きとした鮮やかな緑がないのは残念なことだと思った。
  無数の緑を避けながら、キトラはようよう主人の枕元へと近づいた。

「……伽藍さん」

  返事はない。先程よりも幾分、血色が戻ったように思える。
  そっと手を重ねれば、戻ってきた直後に触れた時よりもはるかに暖かい。
  主の回復の兆しにひどく安堵して、少し大胆に、今度は傷跡も痛々しいその顔に、頬に触れた。

「こんな風にお顔を眺めることって、あまり無かった気がしますね、伽藍さん?」

  ここまでじろじろと主人の、いや男性の顔を見るような不作法など、これまでにしたことがある筈もない。

(わあ、すごく睫毛が長い……)

  髪に触れたが、血糊で堅くなっている所が何箇所もあるようだと気がつき、キトラは眉を顰(ひそ)めた。

(先刻お手当したときに、気づくべきだったのに。
  なんであたしって、本当に気が利かない……)

  飽かず眺めていたいところであったが、使命を思い出して呪符を懐から外し、そっと脇の小卓へ置いた。

(急に気持ちが悪くなった時だけ、注意しなきゃいけないのよね)

  そのような場合は、必ず、少し距離を取るようにと言い含められているのだ。
  改めて主の手を取るが、やはり普段よりは体温が低いように感じられる。
  何度考えても、はしたない行為と感じられて躊躇われたが、意を決して伽藍の横へ潜り込んだ。

(近くに居れば居るほど、伽藍さんが回復するなら、こうするのが一番だよね?)

  伽藍は身動(みじろ)ぎもしない。それでも身を寄せれば、その鼓動や息づかいがかすかに感じ取れた。
  暖かい身体に寄り添えば、回復しているという安堵からくる気の緩みと、先ほどの労働の疲れも手伝い、うつら、うつら、と意識が遠くなる。

(少し……眠くなってきた、みたい)

  微睡みの中、誰かの声が聞こえたような気がした。

(あったかいな……)

  ―――無茶をするものだ、大馬鹿者、とその声は言っているようだった。
  しかし、微睡(まどろ)みがあまりにも気持ちよくて、とってもいい夢をみている気がして、キトラは目醒めようという気にはなれなかった。何か大きくて暖かい、いい匂いのするものに包まれているような、幸せな幸せな夢だった。

◆   ◆   ◆

  声が聞こえて、目を醒ました。誰かが悪態を吐(つ)いている。どうやら伽藍が、大量の植木鉢についての文句を並べているようである。枯れ木も山の何とやらと申すが、目が覚めれば枯れ木枯れ草が鬱蒼と森を作って居ったでは気分が悪いとか、そんなことを勢いよく捲(まく)し立てている。罵詈雑言の語彙の豊富さに、くす、と笑いが零れた。

  主が回復した様子なのが嬉しくて、伽藍さん、と声をかけたつもりだったが、ふにゃふにゃとして言葉にならない。胸元に何かを、多分あの呪符を入れられ、毛布を掛け直されて、これは気の所為か何かの勘違いかも知らないが―――

  優しく頭を撫でてもらった。
  優しく頬を撫でてもらった。

  驚いて言葉を紡ごうとするが、やっぱり上手くいかない、そんなことをしていたら、唇を塞がれた。
  柔らかいものが口内へ滑り込み、それが生み出す蕩けるような快ちよさの中で、疲れ切っていたキトラは、再び眠りに落ちた。

◆   ◆   ◆

  次に目を覚ませば、主は絶好調になっていた。

  主人を献身的に看病した褒美などと言い、時計塔の上に連れて行かれた挙げ句に、ちょいと用向きを思い出したと半日放置されたり、舶来物だと説明された一抱えもあるような容器に入ったアイスクリンを、寒空の下完食することを強要されたり、珍しい巨大な果物を彼女の居室に持ち込んだりされた。その果物はとんでもない匂いを放ち、キトラは近所中に頭を下げて廻る羽目になった。

(ああもう、ああもうっ! やっぱり、あれは夢だったんだわっ)

  それとも、本当にあったことだったろうか。
  あの居丈高で傲慢な天狗に、抱きしめられながら眠った、などというのは。

帝都飛天大作戦外伝・天狗も空から墜ちる 了>

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